初日のこと・1 ~油断と過信~ [はじめての複数国周遊~ウィーン編~]
とくになにもない。
なにも起こらない。
これでヨーロッパ旅行は3回目。決して多い数字ではないが、さすがにいろいろ慣れてしまった。
成田への道のりも、成田での諸手続きも、ゲート前で出発を待つ間も、戸惑いはないし、特別な感慨も起こらない。
もちろん、旅の高揚感はあるが、国内旅行のそれと変わりはない。
チューリッヒまでのフライトも、チューリッヒでの乗り継ぎも、ことさら書くことはない。
その場で危急的速やかに考えなければならないことがない。
となると、その先に待ち受けていると予想される試練、危機的状況のことばかりを考えてしまう。スペインの治安とか、モロッコでの宿探しとか。「なにか楽しいことが待ち受けているはず」と期待に胸を膨らませることができない己の性格が呪わしい。
スペインとモロッコのガイドブックに読み耽っているうちに、飛行機はウィーンに近づいてきた。近づいてしまった。
最初の目的地なのに。ほんとうなら危急的速やかに考えなければならないことのなのに。
なにも考えてなかった。
とりあえずいちおうは、ホテルまでの道のりだけは頭に入れていたのだが。
あとは、ウィーンほどの世界有数の観光地なら、治安はいいはずだし、英語も通じるだろうし、なにがあろうと、どうにかなるだろうと高をくくっていた。
しかしそこはそれ。このノミの心臓のわたしである。いざウィーンが近づいてきたら、もうれつな不安感が襲ってきた。
ヨーロッパ旅行に慣れていると思い込んで、図に乗っていたのだろう。
英語が通じるっていったって、そもそも英語わからないじゃん、おれ。なにを血迷っていたのか。
せめて挨拶やらの基本会話くらいはドイツ語を覚えておかなければまずいだろう。あぁまずいはずだ。そしてきっと死んじゃうんだ、おれ。あぁ死んじゃうんだ。
到着に向け降下を始めた飛行機の座席で、あせったドラえもんよろしく、わさわさとかばんを漁る。
あぁそういえばドイツ語ないよ、これ。
そうだ、ガイドブックの後ろにドイツ語基本会話が載ってたはずだ。
ついでにホテルまでの道のりも再確認しておこう。
いやまぁ、必要最低限の独語会話は勉強できたけども。
わたしが持っていたのは、「とりあえず地下鉄路線がわかる地図さえあればいいか」と、ブックオフで105円で買った2001年版のものであった。古い。通貨表示もユーロではなくて、シリングである。とにかく古い。
渡航前にインターネットで調べ、頭に入れていた市内交通などの情報を再確認しようにも、この古さではとてもじゃないが信用できない。「現地でどうにかなるだろう」と高をくくらせていた、謂れのない自信を喪失している今となっては、己の記憶力も信用できない。
あぁ、きっとこのまま遠い異国の地で路頭に迷っちゃうんだ、おれ。
不安が不安を呼び、増大していくまま。
飛行機はウィーン・シュヴェッヒャート空港に到着してしまった。
なにも起こらない。
これでヨーロッパ旅行は3回目。決して多い数字ではないが、さすがにいろいろ慣れてしまった。
成田への道のりも、成田での諸手続きも、ゲート前で出発を待つ間も、戸惑いはないし、特別な感慨も起こらない。
もちろん、旅の高揚感はあるが、国内旅行のそれと変わりはない。
チューリッヒまでのフライトも、チューリッヒでの乗り継ぎも、ことさら書くことはない。
その場で危急的速やかに考えなければならないことがない。
となると、その先に待ち受けていると予想される試練、危機的状況のことばかりを考えてしまう。スペインの治安とか、モロッコでの宿探しとか。「なにか楽しいことが待ち受けているはず」と期待に胸を膨らませることができない己の性格が呪わしい。
スペインとモロッコのガイドブックに読み耽っているうちに、飛行機はウィーンに近づいてきた。近づいてしまった。
最初の目的地なのに。ほんとうなら危急的速やかに考えなければならないことのなのに。
なにも考えてなかった。
とりあえずいちおうは、ホテルまでの道のりだけは頭に入れていたのだが。
あとは、ウィーンほどの世界有数の観光地なら、治安はいいはずだし、英語も通じるだろうし、なにがあろうと、どうにかなるだろうと高をくくっていた。
しかしそこはそれ。このノミの心臓のわたしである。いざウィーンが近づいてきたら、もうれつな不安感が襲ってきた。
ヨーロッパ旅行に慣れていると思い込んで、図に乗っていたのだろう。
英語が通じるっていったって、そもそも英語わからないじゃん、おれ。なにを血迷っていたのか。
せめて挨拶やらの基本会話くらいはドイツ語を覚えておかなければまずいだろう。あぁまずいはずだ。そしてきっと死んじゃうんだ、おれ。あぁ死んじゃうんだ。
到着に向け降下を始めた飛行機の座席で、あせったドラえもんよろしく、わさわさとかばんを漁る。
あぁそういえばドイツ語ないよ、これ。
そうだ、ガイドブックの後ろにドイツ語基本会話が載ってたはずだ。
ついでにホテルまでの道のりも再確認しておこう。
いやまぁ、必要最低限の独語会話は勉強できたけども。
わたしが持っていたのは、「とりあえず地下鉄路線がわかる地図さえあればいいか」と、ブックオフで105円で買った2001年版のものであった。古い。通貨表示もユーロではなくて、シリングである。とにかく古い。
渡航前にインターネットで調べ、頭に入れていた市内交通などの情報を再確認しようにも、この古さではとてもじゃないが信用できない。「現地でどうにかなるだろう」と高をくくらせていた、謂れのない自信を喪失している今となっては、己の記憶力も信用できない。
あぁ、きっとこのまま遠い異国の地で路頭に迷っちゃうんだ、おれ。
不安が不安を呼び、増大していくまま。
飛行機はウィーン・シュヴェッヒャート空港に到着してしまった。
初日のこと・2 ~空港から市内までのこと~ [はじめての複数国周遊~ウィーン編~]
いやまぁべつに、ドイツ語を勉強したといっても、「ぐーてんたーく」とか、「だんけしぇーん」とか、もともと誰でも知っているような挨拶を再確認しただけのことで、とつぜんベラベラと喋れるようになったわけではもちろんなく、不安は消えないまま、19:30、パスポートコントロールを通過。あれよあれよとウィーンに放り出されてしまった。だいじょうぶか、おれ。
とはいえ、ここで不安に押しつぶされようが、泣こうが喚こうが、なんにしろホテルまで行かなければどうにもならない。そしてホテルへ行くには、ひとまず市内まで出なければ話にならない。
空港から市内までの交通手段は、主にタクシー、リムジンバス、Sバーンと呼ばれるオーストリア国鉄の在来線近郊列車の3つ――と、わたしが持つ2001年版のガイドブックには載っていたが、渡航前に書店で最新版を立ち読みしたところ、Sバーンとは別に、空港と市内を直通で結ぶシティ・エアポート・トレイン(CAT)という路線が最近開通して、運行されているらしい。ま、これは料金が高いそうなので、わたしには用なし。とうぜん使うのは、いちばん安上がりなSバーンである。
空港内を、鉄道マークの方向指示どおり地下へと進むと、まず先にCATの入り口がある。
Sバーンもここでいいのか、それとも別に乗り場があるのか。
いちいちこういうことで不安にかられてしまう。やはりガイドブックは、ケチらず最新版を買っておくべきだったと後悔しながらも、Sバーンのマークと方向指示も見えるし、まぁだいじょうぶだろうと自分に言い聞かせ、指示どおりに奥へと進む。
すると、通路は狭く、暗く、汚くなっていく。
不安だ。
通路にはわたしひとりというわけでもなく、トランクをひきずりながら同方向に歩いている人も少なからずいるので、Sバーンがこの先にあるのは間違いないはずだが、それよりも今度は、この雰囲気の悪さにビビりはじめる。
さらに奥へと進むと券売機があったので、ウィーン市内までの区間のキップを購入し、そのキップをそばにある刻印機に入れる。
そこからまた階段を降りていき、ようやくホームにたどり着いた。
さて、このSバーンの空港駅は始発駅ではないのだが、これがまた追い討ちをかけるようにわたしの不安感を増幅させる。左右どちらの方向の列車に乗ればいいのかわからないのだ。
わたしが目指す駅はウィーン・ミッテというターミナル駅。ここで地下鉄(Uバーン)に乗り換え、ホテル最寄駅に向かう予定でいたのだが、はたしてたどりつけるのか。
なにか手がかりはないかと、ホーム設置の時刻表と路線図を凝視してみる。
なにやらドイツ語の構内アナウンスが流れているが、「ぐーてんたーく」と「だんけしぇーん」しか知らないわたしには理解できようはずもない。
あぁ困った。どうしよう。おれ死んじゃうんだ。あぁ死んじゃうんだ。
そうこうしているうちに列車がホームにすべりこんできた。行き先表示を見ると――あぁおれもう少し生きれる――“Wien Nord”(ウィーン北駅)の文字が。路線図をみるかぎり、わたしの目指すウィーン・ミッテ駅は空港駅から行くとウィーン北駅のひとつ手前である。
どうやらこれに乗ってしまってよさそうだ。仮にミッテ駅に行かないのだとしても、終点北駅もUバーンに連絡しているし、路頭に迷って野垂れ死ぬなんてことには、まずならないだろう。いやー、わかりやすい行き先でよかった。
なんとなーく、少しは不安が解消したような気がしながら、列車に乗り込んだ。
いよいよウィーン市内にむかう。
とはいえ、ここで不安に押しつぶされようが、泣こうが喚こうが、なんにしろホテルまで行かなければどうにもならない。そしてホテルへ行くには、ひとまず市内まで出なければ話にならない。
空港から市内までの交通手段は、主にタクシー、リムジンバス、Sバーンと呼ばれるオーストリア国鉄の在来線近郊列車の3つ――と、わたしが持つ2001年版のガイドブックには載っていたが、渡航前に書店で最新版を立ち読みしたところ、Sバーンとは別に、空港と市内を直通で結ぶシティ・エアポート・トレイン(CAT)という路線が最近開通して、運行されているらしい。ま、これは料金が高いそうなので、わたしには用なし。とうぜん使うのは、いちばん安上がりなSバーンである。
空港内を、鉄道マークの方向指示どおり地下へと進むと、まず先にCATの入り口がある。
Sバーンもここでいいのか、それとも別に乗り場があるのか。
いちいちこういうことで不安にかられてしまう。やはりガイドブックは、ケチらず最新版を買っておくべきだったと後悔しながらも、Sバーンのマークと方向指示も見えるし、まぁだいじょうぶだろうと自分に言い聞かせ、指示どおりに奥へと進む。
すると、通路は狭く、暗く、汚くなっていく。
不安だ。
通路にはわたしひとりというわけでもなく、トランクをひきずりながら同方向に歩いている人も少なからずいるので、Sバーンがこの先にあるのは間違いないはずだが、それよりも今度は、この雰囲気の悪さにビビりはじめる。
さらに奥へと進むと券売機があったので、ウィーン市内までの区間のキップを購入し、そのキップをそばにある刻印機に入れる。
そこからまた階段を降りていき、ようやくホームにたどり着いた。
さて、このSバーンの空港駅は始発駅ではないのだが、これがまた追い討ちをかけるようにわたしの不安感を増幅させる。左右どちらの方向の列車に乗ればいいのかわからないのだ。
わたしが目指す駅はウィーン・ミッテというターミナル駅。ここで地下鉄(Uバーン)に乗り換え、ホテル最寄駅に向かう予定でいたのだが、はたしてたどりつけるのか。
なにか手がかりはないかと、ホーム設置の時刻表と路線図を凝視してみる。
なにやらドイツ語の構内アナウンスが流れているが、「ぐーてんたーく」と「だんけしぇーん」しか知らないわたしには理解できようはずもない。
あぁ困った。どうしよう。おれ死んじゃうんだ。あぁ死んじゃうんだ。
そうこうしているうちに列車がホームにすべりこんできた。行き先表示を見ると――あぁおれもう少し生きれる――“Wien Nord”(ウィーン北駅)の文字が。路線図をみるかぎり、わたしの目指すウィーン・ミッテ駅は空港駅から行くとウィーン北駅のひとつ手前である。
どうやらこれに乗ってしまってよさそうだ。仮にミッテ駅に行かないのだとしても、終点北駅もUバーンに連絡しているし、路頭に迷って野垂れ死ぬなんてことには、まずならないだろう。いやー、わかりやすい行き先でよかった。
なんとなーく、少しは不安が解消したような気がしながら、列車に乗り込んだ。
いよいよウィーン市内にむかう。
初日のこと・3 ~ホテルまでのこと~ [はじめての複数国周遊~ウィーン編~]
ウィーン市内へとむかうSバーンの列車内は、多少の暗さ、汚さを感じるものの、それはあくまで日本の鉄道と比べてのことで、まったくの許容範囲内。車内を見わたしても、近くにはヤバそうな人物もおらず、“雰囲気の悪さ”に感覚は直結しない。
地下にあった空港駅のホームからしばらく行き、列車が地上に出るとすぐ、まさに絵に描いたようなコンビナートの夜景が車窓のむこうに広がる。
いやいや、実物はこのジャケットをはるかに上まわる壮大さと美しさ。
列車はそれを目の前にした駅に停車し、思わず途中下車してしまいそうになるが、旅行初日の、最初の国に到着早々の、とっくに日の暮れて時間のあまり早いとはいえないこんな夜に、冒険できるほどの勇気はわたしにはない。断念。列車はそれなりの乗車率があり、わたしの座っていたボックス席の向かいにも他の客がいたため、撮影も断念した。
その後検札を受けたりしているうちに、列車はめでたくミッテ駅に到着し、地下鉄Uバーン3号線に乗り換え。
UバーンはSバーンと同様に暗く、汚い印象を受けるが、過去に乗ってきたヨーロッパ他国の地下鉄と比べても大差はなく、慣れればどうってことない。
ウィーン西駅で、今度はUバーン6号線に乗り換え。しばらく列車が北進すると、地下鉄だった6号線は地上へ出て、高架上を走る。線路に沿う街路を眺めると、さすがにウィーン中心部からは少し離れているせいもあり暗くて人通りも少なく、初めて訪れる地がこういう状況というのにかなりの不安をおぼえる。
けっこうな歴史がありそうな古めかしい駅舎のAlser Strasse駅で降りる。辺りはやはり暗く、人通りも少ないが、すぐ近くの高架下にマクドナルドが煌々と灯りをともして営業しているのでホッとしながら、宿へとむかう。
いちおう地図の用意はしてあるが、実は列車の窓から見えていたので場所はもう間違えようがない。
Donauwalzer
という、“いかにも”な名が、逆にいかがわしくもあるホテル。料金が激安なのもかなりあやしい(どの予約サイトにも真っ先に出てくる)。ま、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを知らなければ、おそらくウィーンに行こうとは思わなかっただろう安直な考えのわたしが泊まるにふさわしい名ではあるが。
しかし、行ったら行ったで、レセプションの応対は丁寧だし、部屋もきれいで設備も整っている。じつにまっとうなホテルである。
ただ、充てられた部屋が――
――中華風というのはどういうことだろう。欧米人なら喜ぶかもしれないが、いちおう予約しているんだから、わたしが日本人だということはわかっているだろうに。
せっかく“ドナウワルツァー”なんて名前してるんだからさ、もうちょっとこうなんか・・・。まぁいいや。安いし。
気を取り直して。
時間は限られている。すでに21時になっていたが、ひとまず夜のウィーンの街に出てみることにする。
地下にあった空港駅のホームからしばらく行き、列車が地上に出るとすぐ、まさに絵に描いたようなコンビナートの夜景が車窓のむこうに広がる。
いやいや、実物はこのジャケットをはるかに上まわる壮大さと美しさ。
列車はそれを目の前にした駅に停車し、思わず途中下車してしまいそうになるが、旅行初日の、最初の国に到着早々の、とっくに日の暮れて時間のあまり早いとはいえないこんな夜に、冒険できるほどの勇気はわたしにはない。断念。列車はそれなりの乗車率があり、わたしの座っていたボックス席の向かいにも他の客がいたため、撮影も断念した。
その後検札を受けたりしているうちに、列車はめでたくミッテ駅に到着し、地下鉄Uバーン3号線に乗り換え。
UバーンはSバーンと同様に暗く、汚い印象を受けるが、過去に乗ってきたヨーロッパ他国の地下鉄と比べても大差はなく、慣れればどうってことない。
ウィーン西駅で、今度はUバーン6号線に乗り換え。しばらく列車が北進すると、地下鉄だった6号線は地上へ出て、高架上を走る。線路に沿う街路を眺めると、さすがにウィーン中心部からは少し離れているせいもあり暗くて人通りも少なく、初めて訪れる地がこういう状況というのにかなりの不安をおぼえる。
けっこうな歴史がありそうな古めかしい駅舎のAlser Strasse駅で降りる。辺りはやはり暗く、人通りも少ないが、すぐ近くの高架下にマクドナルドが煌々と灯りをともして営業しているのでホッとしながら、宿へとむかう。
いちおう地図の用意はしてあるが、実は列車の窓から見えていたので場所はもう間違えようがない。
Donauwalzer
という、“いかにも”な名が、逆にいかがわしくもあるホテル。料金が激安なのもかなりあやしい(どの予約サイトにも真っ先に出てくる)。ま、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを知らなければ、おそらくウィーンに行こうとは思わなかっただろう安直な考えのわたしが泊まるにふさわしい名ではあるが。
しかし、行ったら行ったで、レセプションの応対は丁寧だし、部屋もきれいで設備も整っている。じつにまっとうなホテルである。
ただ、充てられた部屋が――
――中華風というのはどういうことだろう。欧米人なら喜ぶかもしれないが、いちおう予約しているんだから、わたしが日本人だということはわかっているだろうに。
せっかく“ドナウワルツァー”なんて名前してるんだからさ、もうちょっとこうなんか・・・。まぁいいや。安いし。
気を取り直して。
時間は限られている。すでに21時になっていたが、ひとまず夜のウィーンの街に出てみることにする。
初日のこと・4 ~楽友協会へ~ [はじめての複数国周遊~ウィーン編~]
とにかくビビりまくって、日暮れ頃にはホテルに引っ込んでいた初ヨーロッパ旅行、パリ初日のわたし。こうして夜9時を過ぎてなお、出かけようとする己の姿など想像もつかなかった。ヨーロッパ旅行は3回目を数え、さらに三十路をむかえておいて、慣れないほうがおかしいのであるが。
とはいえ、出かけるといっても、これから盛り場で一杯ひっかけるとかするわけではない(そもそも酒が飲めないのだから行きたいとも思わない)。出発前の記事にオチをつけるため、楽友協会ホールを撮影しに行くだけなのだ。なにをビビる必要がある――と、自分にいいきかせ、部屋を出る。
と、ホテルを出るその前に、レセプションでウィーンカードを購入。ウィーン滞在中に行くことになるであろう施設やらを考えると、買っておいて損はないと判断した。利用期限が日付け区切りで3日間ではなく、“最初の利用から72時間”という時間区切りなのも、発着時間がまちまちな外国人観光客には使い勝手がいい(本来なら空港や鉄道駅の観光案内所で買って、それでホテルまで行くのがいちばんお得なわけだが、到着が遅かったためどこも閉まっていた)。
ホテルを出て、再びUバーン駅。
さっそく楽友協会へ――と、いきたいところだが、せっかく外に出るのだから、ただ目的地まで行って帰ってくるのもつまらない。そこで、ホテルからみれば手前になるシュテファン寺院で下車。そこからウィーンいち賑やかなショッピング街だというケルントナー通りを流しながら、ホールまで歩く。
ふーん、“ウィーンいち賑やか”ねぇ・・・。
“音楽の都”にふさわしく、どこからかヴァイオリンの音が聞こえてきて・・・ということはまったくない。
すでに夜9時をすぎいて、どの店もシャッターをおろしており、人通りが少ない。かといって、まったく人がいないというわけでもなく、仕事帰りのビジネスマンと思しきスーツ姿の人もかなりの数を見かけるので、旅人の心をくすぐるようなうら寂しい雰囲気はない。並ぶショーウインドウに“賑やか”の残滓をなんとなく感じ取れるが、それよりなにより2月のウィーンはもうれつに寒くて、感傷に浸る余裕ももてない。さらに追い討ちをかけるように、ぽつぽつと雨が降ってきやがった。
まぁいいや、明日また、もう少し早い時間に来よう。
途中、雨宿りがてらマクドナルドに入って、遅い晩飯にしたあと、通りをさらに南下。オペラ座を抜け、たどり着いた、あこがれの楽友教会ホール。
時間は23時に迫ろうとしていた。ちゃっちゃと撮影して、近くのカールスプラッツ駅に退散。Uバーンを2号線から4号線、6号線へと乗り継ぎ、今度は景色を変えるべく、ホテル最寄からはひとつ手前の駅で降りてみた(ホテルまでの距離はたいしてかわらない)。
そうしたら、さすがは2月のウィーンである。
男の冬のひとり旅。一日の締めくくりとしては、なかなか様になる風景ではなかろうか。
雨は夜更けすぎに、雪へと変わっていた。
とはいえ、出かけるといっても、これから盛り場で一杯ひっかけるとかするわけではない(そもそも酒が飲めないのだから行きたいとも思わない)。出発前の記事にオチをつけるため、楽友協会ホールを撮影しに行くだけなのだ。なにをビビる必要がある――と、自分にいいきかせ、部屋を出る。
と、ホテルを出るその前に、レセプションでウィーンカードを購入。ウィーン滞在中に行くことになるであろう施設やらを考えると、買っておいて損はないと判断した。利用期限が日付け区切りで3日間ではなく、“最初の利用から72時間”という時間区切りなのも、発着時間がまちまちな外国人観光客には使い勝手がいい(本来なら空港や鉄道駅の観光案内所で買って、それでホテルまで行くのがいちばんお得なわけだが、到着が遅かったためどこも閉まっていた)。
ホテルを出て、再びUバーン駅。
さっそく楽友協会へ――と、いきたいところだが、せっかく外に出るのだから、ただ目的地まで行って帰ってくるのもつまらない。そこで、ホテルからみれば手前になるシュテファン寺院で下車。そこからウィーンいち賑やかなショッピング街だというケルントナー通りを流しながら、ホールまで歩く。
ふーん、“ウィーンいち賑やか”ねぇ・・・。
“音楽の都”にふさわしく、どこからかヴァイオリンの音が聞こえてきて・・・ということはまったくない。
すでに夜9時をすぎいて、どの店もシャッターをおろしており、人通りが少ない。かといって、まったく人がいないというわけでもなく、仕事帰りのビジネスマンと思しきスーツ姿の人もかなりの数を見かけるので、旅人の心をくすぐるようなうら寂しい雰囲気はない。並ぶショーウインドウに“賑やか”の残滓をなんとなく感じ取れるが、それよりなにより2月のウィーンはもうれつに寒くて、感傷に浸る余裕ももてない。さらに追い討ちをかけるように、ぽつぽつと雨が降ってきやがった。
まぁいいや、明日また、もう少し早い時間に来よう。
途中、雨宿りがてらマクドナルドに入って、遅い晩飯にしたあと、通りをさらに南下。オペラ座を抜け、たどり着いた、あこがれの楽友教会ホール。
時間は23時に迫ろうとしていた。ちゃっちゃと撮影して、近くのカールスプラッツ駅に退散。Uバーンを2号線から4号線、6号線へと乗り継ぎ、今度は景色を変えるべく、ホテル最寄からはひとつ手前の駅で降りてみた(ホテルまでの距離はたいしてかわらない)。
そうしたら、さすがは2月のウィーンである。
男の冬のひとり旅。一日の締めくくりとしては、なかなか様になる風景ではなかろうか。
雨は夜更けすぎに、雪へと変わっていた。
2日目のこと・1 ~トラムに乗ってみる~ [はじめての複数国周遊~ウィーン編~]
7:30起床。地上階に併設されているカフェレストランで朝食。ビュッフェ形式。パン、ハム、チーズ、ソーセージ、スクランブルエッグ等々、ヨーロッパのビュッフェ朝食では珍しくもなんともない、よくある品揃えである。
そして、さすがホテル“ドナウワルツァー”。シュトラウスのウィンナワルツがBGMで延々と流れている。そんななか、冬のウィーンの重たい曇り空を窓の外に眺めながら、コーヒーをすする。観光地にある“顔ハメ”に嵌って写真を撮られているような、なんだか薄っぺらい風景ではあるが、開き直って浸ってしまえば、案外悪くない。
空は曇っているが、テレビの天気予報を見るかぎり、雨は降らないようである。主に美術館巡りをするつもりなので、雨が降ろうがさして影響はないのだが、これなら存分に街歩きもできる。
本日のメインイベントに据えているのは美術史美術館。雨が降らないのであれば、いったん市立公園に行って有名なヨハン・シュトラウス像を拝み、そこからは徒歩で途中にある美術館をこなしつつ、美術史美術館へたどり着く、というプランでいってみることにしよう。
さて、市立公園までの道のりであるが、昨晩は短時間ながら散々乗ったので、また地下鉄というのもつまらない。そこで、街並みを眺めつつ移動できるトラムを利用してみることに。幸いホテルの目の前に停留所もある。詳しい行き先や、他にどんな路線があるのかはよくわからないが、手持ちの地図の道にはトラムが通るラインも描かれているので、目の前の路線がどのあたりを通っていくのか、おおよその見当はつく。
ちなみにウィーンの見所のほとんどは、リングと呼ばれる環状道路の内側とその周辺にあるのだが(東京の山手線や環7と違い、半径1kmにも満たない規模なので、徒歩でもじゅうぶんまわれる)、目の前のトラムは、どうやらそのリングも通るようである。また、目指す市立公園はリング沿いにあり、都合のいいことにリングを周回している路線もあるそうなので、それに乗ってしまえば目的地にたどり着くことができるだろう。
ホテルを出て目の前にある停留所に立つと、待つ間もなくトラムが到着。乗り込む。
トラムは地図に描かれた路線どおり進み、やがてリング上にある、トラムのターミナルにもなっているショッテントーア(Schottentor)に到着。
ガイドブックによると、トラムの路線番号“1”がリングを時計回りに、“2”がその逆回りに走っているとのことで、ショッテントーアからはドナウ運河沿いを走ることになる1番に乗り換えた。
トラムはゆっくりと北東に進み、突き当たりを右折。ドナウ運河沿いを走る。水面は美しく青い――のかどうかは、あいだに緑地帯と自動車用道路を挟んでいるため、よく見えずわからない。ま、べつにドナウ川本流とは違うので、どうでもいいっちゃどうでもいい。
運河沿いをさらに直進。そろそろこの辺で右折かと思ったら――あれ?――まだ直進を続け、道はどんどん細くなっていく。ついには鉄道の高架下を通過。地図をどう見ても、リング上に鉄道線など架かっていない。さらにはドナウ運河まで渡ってしまった。こいつは明らかにリングから外れている。
――あぁ、どうしよう。どうなってんだ、こりゃ。
オロオロしているうちに、トラムは大きな公園に入っていき、公園内の停留所に停車。わたし以外の客はすべて降りてしまった。そしてトラムは発車しない。
地図を確認してみると、どうやらわたしは現在、プラター(Prater)にいるらしいが――
――ここは終点ということか? トラム1番はリングを周回してるんじゃないの?
山手線のような純粋な周回路線はすでに廃止されていて、現在は都営大江戸線のような形態になっているのか、もしくは周回路線は存続しているものの支線行きも設定されていて、今回たまたまそれに乗ってしまっただけなのか。よくわからない。やはりガイドブックは最新版を持っておくべきだと、ここでも後悔。
どうせここまで来てしまったのなら、わりと近いし、ドナウ川まで行ってしまおうかとも思ったが、時間ももったいないのであっさり却下した。
運転手は交代することなく、運転席に座ったまま。明らかに言葉が通じなさそうな東洋人を相手にするのは面倒だったのだろうか、降りずに車内でオロオロしているわたしに何か訊いてくることはない(ウィーンカードを持っているので、乗車券やらに関しては問題ない)。
10分程のちトラムは出発し、折り返しもと来た道を進む。リングに戻ったところで再び時計回りに進むのかと思いきや、またドナウ川沿いの道に入ってしまったため、すぐ次の停留所でトラムを降りた。目的の市立公園まで1kmもないし、もういいや、ここから歩こう。
そして、さすがホテル“ドナウワルツァー”。シュトラウスのウィンナワルツがBGMで延々と流れている。そんななか、冬のウィーンの重たい曇り空を窓の外に眺めながら、コーヒーをすする。観光地にある“顔ハメ”に嵌って写真を撮られているような、なんだか薄っぺらい風景ではあるが、開き直って浸ってしまえば、案外悪くない。
空は曇っているが、テレビの天気予報を見るかぎり、雨は降らないようである。主に美術館巡りをするつもりなので、雨が降ろうがさして影響はないのだが、これなら存分に街歩きもできる。
本日のメインイベントに据えているのは美術史美術館。雨が降らないのであれば、いったん市立公園に行って有名なヨハン・シュトラウス像を拝み、そこからは徒歩で途中にある美術館をこなしつつ、美術史美術館へたどり着く、というプランでいってみることにしよう。
さて、市立公園までの道のりであるが、昨晩は短時間ながら散々乗ったので、また地下鉄というのもつまらない。そこで、街並みを眺めつつ移動できるトラムを利用してみることに。幸いホテルの目の前に停留所もある。詳しい行き先や、他にどんな路線があるのかはよくわからないが、手持ちの地図の道にはトラムが通るラインも描かれているので、目の前の路線がどのあたりを通っていくのか、おおよその見当はつく。
ちなみにウィーンの見所のほとんどは、リングと呼ばれる環状道路の内側とその周辺にあるのだが(東京の山手線や環7と違い、半径1kmにも満たない規模なので、徒歩でもじゅうぶんまわれる)、目の前のトラムは、どうやらそのリングも通るようである。また、目指す市立公園はリング沿いにあり、都合のいいことにリングを周回している路線もあるそうなので、それに乗ってしまえば目的地にたどり着くことができるだろう。
ホテルを出て目の前にある停留所に立つと、待つ間もなくトラムが到着。乗り込む。
トラムは地図に描かれた路線どおり進み、やがてリング上にある、トラムのターミナルにもなっているショッテントーア(Schottentor)に到着。
ガイドブックによると、トラムの路線番号“1”がリングを時計回りに、“2”がその逆回りに走っているとのことで、ショッテントーアからはドナウ運河沿いを走ることになる1番に乗り換えた。
トラムはゆっくりと北東に進み、突き当たりを右折。ドナウ運河沿いを走る。水面は美しく青い――のかどうかは、あいだに緑地帯と自動車用道路を挟んでいるため、よく見えずわからない。ま、べつにドナウ川本流とは違うので、どうでもいいっちゃどうでもいい。
運河沿いをさらに直進。そろそろこの辺で右折かと思ったら――あれ?――まだ直進を続け、道はどんどん細くなっていく。ついには鉄道の高架下を通過。地図をどう見ても、リング上に鉄道線など架かっていない。さらにはドナウ運河まで渡ってしまった。こいつは明らかにリングから外れている。
――あぁ、どうしよう。どうなってんだ、こりゃ。
オロオロしているうちに、トラムは大きな公園に入っていき、公園内の停留所に停車。わたし以外の客はすべて降りてしまった。そしてトラムは発車しない。
地図を確認してみると、どうやらわたしは現在、プラター(Prater)にいるらしいが――
――ここは終点ということか? トラム1番はリングを周回してるんじゃないの?
山手線のような純粋な周回路線はすでに廃止されていて、現在は都営大江戸線のような形態になっているのか、もしくは周回路線は存続しているものの支線行きも設定されていて、今回たまたまそれに乗ってしまっただけなのか。よくわからない。やはりガイドブックは最新版を持っておくべきだと、ここでも後悔。
どうせここまで来てしまったのなら、わりと近いし、ドナウ川まで行ってしまおうかとも思ったが、時間ももったいないのであっさり却下した。
運転手は交代することなく、運転席に座ったまま。明らかに言葉が通じなさそうな東洋人を相手にするのは面倒だったのだろうか、降りずに車内でオロオロしているわたしに何か訊いてくることはない(ウィーンカードを持っているので、乗車券やらに関しては問題ない)。
10分程のちトラムは出発し、折り返しもと来た道を進む。リングに戻ったところで再び時計回りに進むのかと思いきや、またドナウ川沿いの道に入ってしまったため、すぐ次の停留所でトラムを降りた。目的の市立公園まで1kmもないし、もういいや、ここから歩こう。
2日目のこと・2 ~参拝散歩~ [はじめての複数国周遊~ウィーン編~]
少々遠回りして余計な時間がかかってしまったが、順序だけいえば、とりあえずは予定どおりといっていいだろう――市立公園にたどり着いた。
ガイドブックには“いつも記念写真を撮るひとでいっぱい”などと書かれているが、2月もあたま、そして時間は午前10時ときたら、さすがに誰もいない。
ヨハン・シュトラウス2世。
わたしはこのひとのワルツに導かれ、ウィーンまでやってきたともいえるわけで。
生きてたって嫌なことばかりの世の中、このひとの音楽に身を委ねているときだけは、すべてを忘れてしあわせな気分になれる。
あぁありがたや、ありがたや。
しっかり拝んでおく。
引き続きリング沿いや、その外周を歩いていくが、まぁいたるところに音楽家像が。
ベートーベンやら(逆光でなにも写ってないが)――
――ブラームスやら。犬も歩けば音楽家に当たる。
途中、造形美術アカデミー絵画室に寄ってみる。
ウィーンカードで値引きされているとはいえ(微々たる金額ではあるが)、4.5ユーロと、それなりの金額を取られるわけだが、いやこれがまた拍子抜けするくらい規模が小さい。絵画“室”だけあって、展示は1フロアのみで、そこに十数点(もあったかどうか)の絵画があるだけ。
もちろん、ひとつひとつの作品はじつにすばらしく、興味深くもあるわけだが、物足りなくもあり。
ウィーンの主目的であるところの美術館めぐり。そのしょっぱなにしてちょいとズッコケてしまった。
だいじょうぶか、この旅。
そこで乱れた歩調を修正するべく、美術史美術館へとむかう。
ガイドブックには“いつも記念写真を撮るひとでいっぱい”などと書かれているが、2月もあたま、そして時間は午前10時ときたら、さすがに誰もいない。
ヨハン・シュトラウス2世。
わたしはこのひとのワルツに導かれ、ウィーンまでやってきたともいえるわけで。
生きてたって嫌なことばかりの世の中、このひとの音楽に身を委ねているときだけは、すべてを忘れてしあわせな気分になれる。
あぁありがたや、ありがたや。
しっかり拝んでおく。
引き続きリング沿いや、その外周を歩いていくが、まぁいたるところに音楽家像が。
ベートーベンやら(逆光でなにも写ってないが)――
――ブラームスやら。犬も歩けば音楽家に当たる。
途中、造形美術アカデミー絵画室に寄ってみる。
ウィーンカードで値引きされているとはいえ(微々たる金額ではあるが)、4.5ユーロと、それなりの金額を取られるわけだが、いやこれがまた拍子抜けするくらい規模が小さい。絵画“室”だけあって、展示は1フロアのみで、そこに十数点(もあったかどうか)の絵画があるだけ。
もちろん、ひとつひとつの作品はじつにすばらしく、興味深くもあるわけだが、物足りなくもあり。
ウィーンの主目的であるところの美術館めぐり。そのしょっぱなにしてちょいとズッコケてしまった。
だいじょうぶか、この旅。
そこで乱れた歩調を修正するべく、美術史美術館へとむかう。
2日目のこと・3 ~美術史美術館とカフェ・ゲルストナー~ [はじめての複数国周遊~ウィーン編~]
造形美術アカデミーから歩いて数分。やってきたましたウィーン美術史美術館。
入ってすぐ、どのガイドブックにも必ず載っている景色が目の前にひろがり、興奮しつつ――
――展示フロアに足を踏み入れていく。
あまりにも有名な『バベルの塔』をはじめとするブリューゲルコレクションや、フェルメール『絵画芸術』など、見どころをあげればキリがないが、とくにわたしの印象に残ったのが、ルーベンスコレクション。なかでも『ヴィーナスの祝祭』は圧巻であった。
ルーベンス独特の(バロック絵画独特のといったほうがいいのか)豊満――あるいはだらしないともいえる肉体を持った女性や天使達が、画面狭しと踊っている。それは“容姿の美しさ”というより“生命の美しさ”。むせかえるような、“いきもの”の息吹にあふれていた。
“次はフランドル絵画制覇だな”
旅程2日目にして早くも次の旅の計画を練りながら、展示をひととおり観終えた。時間は午後2時。
そういえば朝食以来なにも口にしていない。いいかげん疲れた。
ここまで来るのにあちこちフラフラしていたせいで、入館する前ですら、すでに若干の疲労と空腹感をおぼえていたほどだ。
そこで館内のカフェ・ゲルストナーで休憩。
30過ぎの男ひとり、ウィーンのカフェでタルトとメランジュ。
べつに、味はどうということはないのだが、それよりもこの雰囲気である。
あこがれのウィーンのカフェ。その一発目で、すごいものを味わってしまった。
入ってすぐ、どのガイドブックにも必ず載っている景色が目の前にひろがり、興奮しつつ――
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――展示フロアに足を踏み入れていく。
あまりにも有名な『バベルの塔』をはじめとするブリューゲルコレクションや、フェルメール『絵画芸術』など、見どころをあげればキリがないが、とくにわたしの印象に残ったのが、ルーベンスコレクション。なかでも『ヴィーナスの祝祭』は圧巻であった。
ルーベンス独特の(バロック絵画独特のといったほうがいいのか)豊満――あるいはだらしないともいえる肉体を持った女性や天使達が、画面狭しと踊っている。それは“容姿の美しさ”というより“生命の美しさ”。むせかえるような、“いきもの”の息吹にあふれていた。
“次はフランドル絵画制覇だな”
旅程2日目にして早くも次の旅の計画を練りながら、展示をひととおり観終えた。時間は午後2時。
そういえば朝食以来なにも口にしていない。いいかげん疲れた。
ここまで来るのにあちこちフラフラしていたせいで、入館する前ですら、すでに若干の疲労と空腹感をおぼえていたほどだ。
そこで館内のカフェ・ゲルストナーで休憩。
30過ぎの男ひとり、ウィーンのカフェでタルトとメランジュ。
べつに、味はどうということはないのだが、それよりもこの雰囲気である。
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あこがれのウィーンのカフェ。その一発目で、すごいものを味わってしまった。
2日目のこと・4 ~国立図書館・プルンクザール~ [はじめての複数国周遊~ウィーン編~]
美術館内のカフェでぼけーっとしたり、再度展示を観てまわったりしていたら、いつのまにか午後3時。
このへんで、次に向かう。
美術史美術館とは、リングを挟んだ向かい側。新王宮にある国立図書館へ――
――行ったはいいが、こちらは実際に“図書館”として機能している側の入り口だったようで、わたしに用はない。係りのひとに丁寧に案内してもらったのは、建物の裏側。スペイン乗馬学校の入り口の横。
わたしが行きたかったのはただの国立図書館ではなく、国立図書館大広間“プルンクザール”であった。
入場料を払って中に入ったら、んまぁ、豪華絢爛。
しかしそこにあるのは、ただギラギラしているだけの、成金趣味の豪華さではない。“知の集合体”としての重厚感を備えた、ゆるぎない落ち着きと迫力が感じられる。
はたしてエーコは、この図書館を意識したのかどうか。
そしてなんといっても――
――あぁ、魅惑のキャットウォーク。やばい。あそこのぼりたい。歩きたい。
わたしはとくに高い場所が好きというわけではない。むしろ苦手といっていい。しかし、だからこそ、高所におけるあの内臓がモゾモゾする感覚と脚の震えを味わえるわけで、それがM心をゆさぶるのだ。巨大橋や石油コンビナートのキャットウォークなんか、見てるだけでゾクゾクしてくる。あそこを歩くことを想像すると、あの細い通路から一歩足を踏み外しそうになったらと妄想すると、もう気がとおくなる。
また、それはいかにも“関係者以外立ち入り禁止”な場所に潜入するようで、背徳感というか、高揚感というか、ちょっとした冒険心というか。自分が特別な存在になったような錯覚(学校の体育館のキャットウォークにのぼった時の感覚。誰にも憶えはあるのではないだろうか)。どきどきする。たまらん。
ここのキャットウォークは大した高さでもないし、通路もさほど狭くもないようだが(そもそも“キャットウォーク”と呼べるしろものなのかもわからないが)、あの脚立にのぼって一番上の書物を取り出すことを想像すると、かなりグッとくる。ま、一般観光客は入れないので、妄想止まりなわけだが。
ちなみに、壁一面の巨大な書架とキャットウォークといえば、司馬遼太郎記念館である。両方を知るひとは必ず共通性を見出すであろう。
はたして安藤忠雄は、この図書館を意識したのかどうか。
このへんで、次に向かう。
美術史美術館とは、リングを挟んだ向かい側。新王宮にある国立図書館へ――
――行ったはいいが、こちらは実際に“図書館”として機能している側の入り口だったようで、わたしに用はない。係りのひとに丁寧に案内してもらったのは、建物の裏側。スペイン乗馬学校の入り口の横。
わたしが行きたかったのはただの国立図書館ではなく、国立図書館大広間“プルンクザール”であった。
入場料を払って中に入ったら、んまぁ、豪華絢爛。
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しかしそこにあるのは、ただギラギラしているだけの、成金趣味の豪華さではない。“知の集合体”としての重厚感を備えた、ゆるぎない落ち着きと迫力が感じられる。
はたしてエーコは、この図書館を意識したのかどうか。
そしてなんといっても――
――あぁ、魅惑のキャットウォーク。やばい。あそこのぼりたい。歩きたい。
わたしはとくに高い場所が好きというわけではない。むしろ苦手といっていい。しかし、だからこそ、高所におけるあの内臓がモゾモゾする感覚と脚の震えを味わえるわけで、それがM心をゆさぶるのだ。巨大橋や石油コンビナートのキャットウォークなんか、見てるだけでゾクゾクしてくる。あそこを歩くことを想像すると、あの細い通路から一歩足を踏み外しそうになったらと妄想すると、もう気がとおくなる。
また、それはいかにも“関係者以外立ち入り禁止”な場所に潜入するようで、背徳感というか、高揚感というか、ちょっとした冒険心というか。自分が特別な存在になったような錯覚(学校の体育館のキャットウォークにのぼった時の感覚。誰にも憶えはあるのではないだろうか)。どきどきする。たまらん。
ここのキャットウォークは大した高さでもないし、通路もさほど狭くもないようだが(そもそも“キャットウォーク”と呼べるしろものなのかもわからないが)、あの脚立にのぼって一番上の書物を取り出すことを想像すると、かなりグッとくる。ま、一般観光客は入れないので、妄想止まりなわけだが。
ちなみに、壁一面の巨大な書架とキャットウォークといえば、司馬遼太郎記念館である。両方を知るひとは必ず共通性を見出すであろう。
はたして安藤忠雄は、この図書館を意識したのかどうか。
2日目のこと・5 ~めざせ、ホイリゲ! ウィーンの森をゆく~ [はじめての複数国周遊~ウィーン編~]
さて。
せっかくウィーンまで来ておきながら、コンサートに行く予定がない。
着るものがないし、だいたい金もない。
各所で毎夜、観光客向けのカジュアルなコンサートも開催されているというが、夜は夜で、時間の効率化のため夜間開館している美術館に行くつもりでいた。
しかし、生の音楽にまったく触れずにウィーンを発ってしまうというのはいかがなものか。もったいない。もったいないお化けがでちゃう。
そこでウィーン郊外の、いわゆる“ウィーンの森”に多くあるという、名物“ホイリゲ”に行ってみることにした。
ホイリゲとは、その年の新酒を飲ませるワイン酒場のことで、どの店でも“シュランメル”と呼ばれる音楽の生演奏が行われているらしい。
ワインに酔いしれ、唄い踊る客達――そんな音楽酒場に下戸の日本人がひとりで行くというのは、これまたいかがなものかと思うし、演奏の質だってプロの楽団に比べたら高が知れているけども、店の前まで行って耐えられない程の“場違い”感をおぼえれば、引き返せばいいだけの話だ。幸いにも、わたしが向かおうとしているホイリゲの集中地・グリンツィングは、ウィーン中心部からトラムで30分もかからない近郊にあるため、ただ行って引き返しただけでも大した痛手にはならない。また、グリンツィングの隣、ハイリゲンシュタットはベートーヴェンゆかりの地で、ふたつの街の間には“ベートーヴェンの並木道”と呼ばれる小道が小川に沿って延びている。ここの散歩を主目的にすれば、ホイリゲに行けずとも虚無感はおぼえまい。
16:30。国立図書館を出て、リング沿いのトラム停留所。そこはハイリゲンシュタット方面へ行くラインDが通っており、やってきたトラムの行き先表示を見ると、都合のいいことにわたしの目的地の名称そのまんま、“Beethovengang”とある。降りる場所を気にせず、寝ててもベートーヴェンの並木道まで連れていってくれるわけだ。
トラムに揺られて30分弱。たどり着いたベートーヴェンの並木道は、ありふれた郊外住宅地の景色の中にあった。しっかり整備された道は大型公園の遊歩道を思わせる。“ウィーンの森”という言葉から想像を膨らませるとちょいとがっくりくるような。少なくとも“森の小道”というには程遠い。
しかしそこは、くさってもウィーンの“森”と呼ばれる地域。昨日の雪がまだ残る真冬の並木道は極寒で、ひと通りはほとんどなく、すれ違ったのは地元民と思しき犬を連れた初老のご婦人と、子供の手をひく美人若奥様の2組だけ。
午後6時を前にしてすでにあたりは暗くなり始め、道に灯りは乏しいものの、すぐそばに住宅が立ち並んでいることを思うと、たいして不安にはならない。
いちおう、ベートーヴェンがこの道を散歩しながら、交響曲第6番(いわゆる『田園』ですね)の構想を練ったといわれているが、当時の面影がどの程度残っているのかは知る由もない。そもそもベートーヴェンがこの地に滞在したのは夏だそうで。まぁそりゃそうだ。寒さに凍えながら“田園”もクソもない。
そんなこんなで、そのベートーヴェンの胸像を拝みつつ――
――たどり着いたグリンツィングはすっかり夜の姿になっていた。
それにしてもひとが少ない。ハイリゲンシュタットからここまで、それなりの距離を歩いてきたが、数えるほどしかひととすれ違っていない。グリンツィングに近付いたら、あちこちのホイリゲから愉快な音楽や歌声が聞こえてくるものだと思っていたのだが、それもまったくない。
おかしいぞ、これは。
いぶかしみながら街をひとまわりしてみると――あいやー――ホイリゲは、ただの1軒も営業していなかった。ものの見事にひとつ残らず閉まっている。1軒だけ営業しているレストランがありはしたものの、それはただのレストランで、ホイリゲではなく、音楽は聞こえてこない。真冬の平日はこんなものなのか――
<帰国後、最新のガイドブックをみてみると、どの店も“冬季休業”とありやがる。手持ちのガイドブックの記載は営業時間だけで、営業“期間”はなかった。最新のガイドブックを持っておくべきだったと後悔するのは、はたして何度目だろう>
――なんにしろ、店が閉まってるのではどうにもならない。腹も減ってきたし、さっさと帰ろう。いざというときの予定どおり、“ウィーンの森を散歩しにきた”と思えば、もうこれは目的達成といえる。そういうことにしておく。
こんどはグリンツィング~ウィーン中心部直通のトラム38番に乗る。
襲ってくる虚無感と闘うように、明日の予定などを無理やり考えながら、トラムを乗り継ぎ、未練たらしくも国立歌劇場前。今夜はなにやら上演されるようで、ピッチリとスーツで固めた紳士やドレスアップした淑女が劇場に入っていく姿が見受けられる。翻って己のみすぼらしい姿。未練もきれいに消し飛ぼうものだ。
雨雪はなく、時間もまだ早いおかげで、昨夜とはうってかわって賑やかなケルントナー通りをふらふら北上し、シュテファン大聖堂へ。
ここまでくると、メシも音楽も、もうどうでもよくなり、近くにあったセルフサービス式のイタリアンレストランに入り、ボロネーゼとコーラで晩飯を済ませてしまった。もちろんBGMはない。
せっかくウィーンまで来ておきながら、コンサートに行く予定がない。
着るものがないし、だいたい金もない。
各所で毎夜、観光客向けのカジュアルなコンサートも開催されているというが、夜は夜で、時間の効率化のため夜間開館している美術館に行くつもりでいた。
しかし、生の音楽にまったく触れずにウィーンを発ってしまうというのはいかがなものか。もったいない。もったいないお化けがでちゃう。
そこでウィーン郊外の、いわゆる“ウィーンの森”に多くあるという、名物“ホイリゲ”に行ってみることにした。
ホイリゲとは、その年の新酒を飲ませるワイン酒場のことで、どの店でも“シュランメル”と呼ばれる音楽の生演奏が行われているらしい。
ワインに酔いしれ、唄い踊る客達――そんな音楽酒場に下戸の日本人がひとりで行くというのは、これまたいかがなものかと思うし、演奏の質だってプロの楽団に比べたら高が知れているけども、店の前まで行って耐えられない程の“場違い”感をおぼえれば、引き返せばいいだけの話だ。幸いにも、わたしが向かおうとしているホイリゲの集中地・グリンツィングは、ウィーン中心部からトラムで30分もかからない近郊にあるため、ただ行って引き返しただけでも大した痛手にはならない。また、グリンツィングの隣、ハイリゲンシュタットはベートーヴェンゆかりの地で、ふたつの街の間には“ベートーヴェンの並木道”と呼ばれる小道が小川に沿って延びている。ここの散歩を主目的にすれば、ホイリゲに行けずとも虚無感はおぼえまい。
16:30。国立図書館を出て、リング沿いのトラム停留所。そこはハイリゲンシュタット方面へ行くラインDが通っており、やってきたトラムの行き先表示を見ると、都合のいいことにわたしの目的地の名称そのまんま、“Beethovengang”とある。降りる場所を気にせず、寝ててもベートーヴェンの並木道まで連れていってくれるわけだ。
トラムに揺られて30分弱。たどり着いたベートーヴェンの並木道は、ありふれた郊外住宅地の景色の中にあった。しっかり整備された道は大型公園の遊歩道を思わせる。“ウィーンの森”という言葉から想像を膨らませるとちょいとがっくりくるような。少なくとも“森の小道”というには程遠い。
しかしそこは、くさってもウィーンの“森”と呼ばれる地域。昨日の雪がまだ残る真冬の並木道は極寒で、ひと通りはほとんどなく、すれ違ったのは地元民と思しき犬を連れた初老のご婦人と、子供の手をひく美人若奥様の2組だけ。
午後6時を前にしてすでにあたりは暗くなり始め、道に灯りは乏しいものの、すぐそばに住宅が立ち並んでいることを思うと、たいして不安にはならない。
いちおう、ベートーヴェンがこの道を散歩しながら、交響曲第6番(いわゆる『田園』ですね)の構想を練ったといわれているが、当時の面影がどの程度残っているのかは知る由もない。そもそもベートーヴェンがこの地に滞在したのは夏だそうで。まぁそりゃそうだ。寒さに凍えながら“田園”もクソもない。
そんなこんなで、そのベートーヴェンの胸像を拝みつつ――
――たどり着いたグリンツィングはすっかり夜の姿になっていた。
それにしてもひとが少ない。ハイリゲンシュタットからここまで、それなりの距離を歩いてきたが、数えるほどしかひととすれ違っていない。グリンツィングに近付いたら、あちこちのホイリゲから愉快な音楽や歌声が聞こえてくるものだと思っていたのだが、それもまったくない。
おかしいぞ、これは。
いぶかしみながら街をひとまわりしてみると――あいやー――ホイリゲは、ただの1軒も営業していなかった。ものの見事にひとつ残らず閉まっている。1軒だけ営業しているレストランがありはしたものの、それはただのレストランで、ホイリゲではなく、音楽は聞こえてこない。真冬の平日はこんなものなのか――
<帰国後、最新のガイドブックをみてみると、どの店も“冬季休業”とありやがる。手持ちのガイドブックの記載は営業時間だけで、営業“期間”はなかった。最新のガイドブックを持っておくべきだったと後悔するのは、はたして何度目だろう>
――なんにしろ、店が閉まってるのではどうにもならない。腹も減ってきたし、さっさと帰ろう。いざというときの予定どおり、“ウィーンの森を散歩しにきた”と思えば、もうこれは目的達成といえる。そういうことにしておく。
こんどはグリンツィング~ウィーン中心部直通のトラム38番に乗る。
襲ってくる虚無感と闘うように、明日の予定などを無理やり考えながら、トラムを乗り継ぎ、未練たらしくも国立歌劇場前。今夜はなにやら上演されるようで、ピッチリとスーツで固めた紳士やドレスアップした淑女が劇場に入っていく姿が見受けられる。翻って己のみすぼらしい姿。未練もきれいに消し飛ぼうものだ。
雨雪はなく、時間もまだ早いおかげで、昨夜とはうってかわって賑やかなケルントナー通りをふらふら北上し、シュテファン大聖堂へ。
ここまでくると、メシも音楽も、もうどうでもよくなり、近くにあったセルフサービス式のイタリアンレストランに入り、ボロネーゼとコーラで晩飯を済ませてしまった。もちろんBGMはない。
3日目のこと・1 ~シェーンブルン宮殿~ [はじめての複数国周遊~ウィーン編~]
朝食でクロワッサンを食みながら、見る窓の向こうは雨。行き交う人々も皆、傘をさしていて、それなりの雨量がある。
9:30。ホテルを出る頃になっても、雨ふりやまず。気持ちよく観光するためには、なるべく荷物は少なくしたいところだが、こうなったらやむをえない。折り畳み傘を携行する。
Uバーン6号線から4号線に乗り換え、Schönbrunn駅へ。
はい、シェーンブルン宮殿でございます。
王宮のあれやこれやにも入場できるシシーチケットを購入し、奥に進むと、衛兵のような格好をしたおっさんが、テーブルを前にして椅子に座りながら、「やぁ、お兄さん、ちょっと寄ってかないかい」と手招きしてわたしを呼んでいる。何事かと思って近づいてみると、「コンサートはどうだい」と。チケットを売っているようだ。
あぁこれが“観光客向けのカジュアルなコンサート”ってやつか。しかもシェーンブルン宮殿内で催されるというもの。
これに惹かれないわけがない。惹かれないほうがおかしい。
しかし、今夜こそが美術館の夜間開館目白押しで、そこに時間をさく予定でいた。やむなくコンサートは断念。後ろ髪をひかれながらも、チケット売りのおっさんに別れを告げ、宮殿見学にむかう。
ちなみに無料(というか、チケット料金に含まれているというか)で音声ガイドの貸し出しがあり、日本語のものもあるので、ありがたく拝借し、聴きながら見学していったのだが、この音声解説を担当している男女ふたりが、まぁすごい。本業がなんなのかは知らないが、素人まるだし。棒読み。随所でカミまくる。それを録りなおしもせず、そのまま使っているという制作者側のいい加減さにも脱帽ものだ。ま、解説としての役割はじゅうぶん果たしているからいいんだけども。
さて、シェーンブルン宮殿については、今さらわたしが語るべくもないだろう。
豪華絢爛。きらびやか。
ただ、イタリアでさんざん豪華絢爛な宮殿を見てきたせいか、たいした驚きはない。それどころか、シェーンブルンの方が断然規模が大きいにもかかわらず、イタリアで見たものより地味だと感じるほど。
その感覚は、どうやらシェーンブルンの方が、金ぴか度合いが薄いことに由来するようだ。
驚きはないが、イタリアで見てきた宮殿ほどのケバケバしさを感じず、地味な分、そこに微かながらも生活感が漂っていて、むしろ好感が持てる。確かに、ここにひとが住んでいたんだと。ここにマリア・テレジアが、エリザベートが、マリー・アントワネットが起居していたということが、真実味を帯び、実感できる。
また宮殿の一部がアパートとして一般市民に提供されていて、現在でも約200世帯もの人々がここで生活しているという。その現実の生活感すらも、見学ルートに漂ってきているよう――と感じてしまうのは、わたしの拭いきれない貧乏性ゆえか。
宮殿の見学を終え、グロリエッテに向けて雨上がりの敷地内を山登りするが――
――庭園、散歩道も、なかなかに気持ちがいい。
リスもさぞや居心地がよかろう。
9:30。ホテルを出る頃になっても、雨ふりやまず。気持ちよく観光するためには、なるべく荷物は少なくしたいところだが、こうなったらやむをえない。折り畳み傘を携行する。
Uバーン6号線から4号線に乗り換え、Schönbrunn駅へ。
はい、シェーンブルン宮殿でございます。
王宮のあれやこれやにも入場できるシシーチケットを購入し、奥に進むと、衛兵のような格好をしたおっさんが、テーブルを前にして椅子に座りながら、「やぁ、お兄さん、ちょっと寄ってかないかい」と手招きしてわたしを呼んでいる。何事かと思って近づいてみると、「コンサートはどうだい」と。チケットを売っているようだ。
あぁこれが“観光客向けのカジュアルなコンサート”ってやつか。しかもシェーンブルン宮殿内で催されるというもの。
これに惹かれないわけがない。惹かれないほうがおかしい。
しかし、今夜こそが美術館の夜間開館目白押しで、そこに時間をさく予定でいた。やむなくコンサートは断念。後ろ髪をひかれながらも、チケット売りのおっさんに別れを告げ、宮殿見学にむかう。
ちなみに無料(というか、チケット料金に含まれているというか)で音声ガイドの貸し出しがあり、日本語のものもあるので、ありがたく拝借し、聴きながら見学していったのだが、この音声解説を担当している男女ふたりが、まぁすごい。本業がなんなのかは知らないが、素人まるだし。棒読み。随所でカミまくる。それを録りなおしもせず、そのまま使っているという制作者側のいい加減さにも脱帽ものだ。ま、解説としての役割はじゅうぶん果たしているからいいんだけども。
さて、シェーンブルン宮殿については、今さらわたしが語るべくもないだろう。
豪華絢爛。きらびやか。
ただ、イタリアでさんざん豪華絢爛な宮殿を見てきたせいか、たいした驚きはない。それどころか、シェーンブルンの方が断然規模が大きいにもかかわらず、イタリアで見たものより地味だと感じるほど。
その感覚は、どうやらシェーンブルンの方が、金ぴか度合いが薄いことに由来するようだ。
驚きはないが、イタリアで見てきた宮殿ほどのケバケバしさを感じず、地味な分、そこに微かながらも生活感が漂っていて、むしろ好感が持てる。確かに、ここにひとが住んでいたんだと。ここにマリア・テレジアが、エリザベートが、マリー・アントワネットが起居していたということが、真実味を帯び、実感できる。
また宮殿の一部がアパートとして一般市民に提供されていて、現在でも約200世帯もの人々がここで生活しているという。その現実の生活感すらも、見学ルートに漂ってきているよう――と感じてしまうのは、わたしの拭いきれない貧乏性ゆえか。
宮殿の見学を終え、グロリエッテに向けて雨上がりの敷地内を山登りするが――
――庭園、散歩道も、なかなかに気持ちがいい。
リスもさぞや居心地がよかろう。