3日目のこと・1 ~シェーンブルン宮殿~ [はじめての複数国周遊~ウィーン編~]
朝食でクロワッサンを食みながら、見る窓の向こうは雨。行き交う人々も皆、傘をさしていて、それなりの雨量がある。
9:30。ホテルを出る頃になっても、雨ふりやまず。気持ちよく観光するためには、なるべく荷物は少なくしたいところだが、こうなったらやむをえない。折り畳み傘を携行する。
Uバーン6号線から4号線に乗り換え、Schönbrunn駅へ。
はい、シェーンブルン宮殿でございます。
王宮のあれやこれやにも入場できるシシーチケットを購入し、奥に進むと、衛兵のような格好をしたおっさんが、テーブルを前にして椅子に座りながら、「やぁ、お兄さん、ちょっと寄ってかないかい」と手招きしてわたしを呼んでいる。何事かと思って近づいてみると、「コンサートはどうだい」と。チケットを売っているようだ。
あぁこれが“観光客向けのカジュアルなコンサート”ってやつか。しかもシェーンブルン宮殿内で催されるというもの。
これに惹かれないわけがない。惹かれないほうがおかしい。
しかし、今夜こそが美術館の夜間開館目白押しで、そこに時間をさく予定でいた。やむなくコンサートは断念。後ろ髪をひかれながらも、チケット売りのおっさんに別れを告げ、宮殿見学にむかう。
ちなみに無料(というか、チケット料金に含まれているというか)で音声ガイドの貸し出しがあり、日本語のものもあるので、ありがたく拝借し、聴きながら見学していったのだが、この音声解説を担当している男女ふたりが、まぁすごい。本業がなんなのかは知らないが、素人まるだし。棒読み。随所でカミまくる。それを録りなおしもせず、そのまま使っているという制作者側のいい加減さにも脱帽ものだ。ま、解説としての役割はじゅうぶん果たしているからいいんだけども。
さて、シェーンブルン宮殿については、今さらわたしが語るべくもないだろう。
豪華絢爛。きらびやか。
ただ、イタリアでさんざん豪華絢爛な宮殿を見てきたせいか、たいした驚きはない。それどころか、シェーンブルンの方が断然規模が大きいにもかかわらず、イタリアで見たものより地味だと感じるほど。
その感覚は、どうやらシェーンブルンの方が、金ぴか度合いが薄いことに由来するようだ。
驚きはないが、イタリアで見てきた宮殿ほどのケバケバしさを感じず、地味な分、そこに微かながらも生活感が漂っていて、むしろ好感が持てる。確かに、ここにひとが住んでいたんだと。ここにマリア・テレジアが、エリザベートが、マリー・アントワネットが起居していたということが、真実味を帯び、実感できる。
また宮殿の一部がアパートとして一般市民に提供されていて、現在でも約200世帯もの人々がここで生活しているという。その現実の生活感すらも、見学ルートに漂ってきているよう――と感じてしまうのは、わたしの拭いきれない貧乏性ゆえか。
宮殿の見学を終え、グロリエッテに向けて雨上がりの敷地内を山登りするが――
――庭園、散歩道も、なかなかに気持ちがいい。
リスもさぞや居心地がよかろう。
9:30。ホテルを出る頃になっても、雨ふりやまず。気持ちよく観光するためには、なるべく荷物は少なくしたいところだが、こうなったらやむをえない。折り畳み傘を携行する。
Uバーン6号線から4号線に乗り換え、Schönbrunn駅へ。
はい、シェーンブルン宮殿でございます。
王宮のあれやこれやにも入場できるシシーチケットを購入し、奥に進むと、衛兵のような格好をしたおっさんが、テーブルを前にして椅子に座りながら、「やぁ、お兄さん、ちょっと寄ってかないかい」と手招きしてわたしを呼んでいる。何事かと思って近づいてみると、「コンサートはどうだい」と。チケットを売っているようだ。
あぁこれが“観光客向けのカジュアルなコンサート”ってやつか。しかもシェーンブルン宮殿内で催されるというもの。
これに惹かれないわけがない。惹かれないほうがおかしい。
しかし、今夜こそが美術館の夜間開館目白押しで、そこに時間をさく予定でいた。やむなくコンサートは断念。後ろ髪をひかれながらも、チケット売りのおっさんに別れを告げ、宮殿見学にむかう。
ちなみに無料(というか、チケット料金に含まれているというか)で音声ガイドの貸し出しがあり、日本語のものもあるので、ありがたく拝借し、聴きながら見学していったのだが、この音声解説を担当している男女ふたりが、まぁすごい。本業がなんなのかは知らないが、素人まるだし。棒読み。随所でカミまくる。それを録りなおしもせず、そのまま使っているという制作者側のいい加減さにも脱帽ものだ。ま、解説としての役割はじゅうぶん果たしているからいいんだけども。
さて、シェーンブルン宮殿については、今さらわたしが語るべくもないだろう。
豪華絢爛。きらびやか。
ただ、イタリアでさんざん豪華絢爛な宮殿を見てきたせいか、たいした驚きはない。それどころか、シェーンブルンの方が断然規模が大きいにもかかわらず、イタリアで見たものより地味だと感じるほど。
その感覚は、どうやらシェーンブルンの方が、金ぴか度合いが薄いことに由来するようだ。
驚きはないが、イタリアで見てきた宮殿ほどのケバケバしさを感じず、地味な分、そこに微かながらも生活感が漂っていて、むしろ好感が持てる。確かに、ここにひとが住んでいたんだと。ここにマリア・テレジアが、エリザベートが、マリー・アントワネットが起居していたということが、真実味を帯び、実感できる。
また宮殿の一部がアパートとして一般市民に提供されていて、現在でも約200世帯もの人々がここで生活しているという。その現実の生活感すらも、見学ルートに漂ってきているよう――と感じてしまうのは、わたしの拭いきれない貧乏性ゆえか。
宮殿の見学を終え、グロリエッテに向けて雨上がりの敷地内を山登りするが――
――庭園、散歩道も、なかなかに気持ちがいい。
リスもさぞや居心地がよかろう。
2009-09-22 23:28
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