3日目のこと・2 ~ベルヴェデーレ宮殿上宮・『接吻』~ [はじめての複数国周遊~ウィーン編~]
シェーンブルン宮殿を出てから、地下鉄でカールスプラッツへ。そこからはそれなりの距離があるものの、散歩ついでに徒歩でむかった先は、ベルヴェデーレ宮殿。
敷地に入ってみると、庭園の大部分が工事中。そういえばシェーンブルンの庭園も噴水が出てなかったし、シュテファン寺院も外装工事中だったし、やはり観光オフシーズンは、どの国に行ってもこんなもんなんだろう。
ただ、わたしの目的は庭園にはない。ベルヴェデーレといえば、上宮の絵画コレクション、なかでもクリムト作品、そして『接吻』であろう。
ひとは云う――それは「究極の愛のかたち」。
断崖の淵で金色に融けあうふたり。そこに“死”が迫るからこそ、際立つ“生”――すなわち愛。
観ていたら、どういうわけだか泣けてきた。
本物の愛に触れた衝撃からなのか。
いや――芸術から起こる感動というものは、そこに“共感”があってこそ生まれるのだろうと思うのだが、では、わたしは今までにこれ程までの狂おしい愛を授受したことがあったのかというと、こちらから一方的に愛を垂れ流すことはあっても、愛を享受した憶えはいっさいないので、誰がどう観ても愛し“合って”いるこの絵に共感できているのかといえば、やはり違う気がする。
いやいや――そもそも“本物の愛”ってなんだ。おれにそんな崇高なものがわかるのか。仮に“愛”がわかったとしても、それは日本語の“愛”なだけで、この絵に描かれている“Love”だか“Liebe”だかがわかったことにはならないだろうし、もう途方がない。
いやいやいや――“本物の愛”を知らなかったからこそ、その初めての邂逅に衝撃を受け、感動して泣いているのではないのか。
いやいやいやいや――だいたい、感情と涙腺が直結しているわたしは、わずかに心が動いただけで涙を流すようにできている。もうそういう体質なのだ。だから、“有名な絵を肉眼で観ることができた”などといった、なんとも浅はかな理由で泣いているだけなのかもしれない。
――いや。理由はやはりどうでもよく。美術館の最大の見所であり、世界各国の観光客が絶えないその場所で、ひとりのバカな日本人に堂々と涙を流させるだけのチカラが少なくともその絵にはあると、まぁそういうことだ。
敷地に入ってみると、庭園の大部分が工事中。そういえばシェーンブルンの庭園も噴水が出てなかったし、シュテファン寺院も外装工事中だったし、やはり観光オフシーズンは、どの国に行ってもこんなもんなんだろう。
ただ、わたしの目的は庭園にはない。ベルヴェデーレといえば、上宮の絵画コレクション、なかでもクリムト作品、そして『接吻』であろう。
ひとは云う――それは「究極の愛のかたち」。
断崖の淵で金色に融けあうふたり。そこに“死”が迫るからこそ、際立つ“生”――すなわち愛。
観ていたら、どういうわけだか泣けてきた。
本物の愛に触れた衝撃からなのか。
いや――芸術から起こる感動というものは、そこに“共感”があってこそ生まれるのだろうと思うのだが、では、わたしは今までにこれ程までの狂おしい愛を授受したことがあったのかというと、こちらから一方的に愛を垂れ流すことはあっても、愛を享受した憶えはいっさいないので、誰がどう観ても愛し“合って”いるこの絵に共感できているのかといえば、やはり違う気がする。
いやいや――そもそも“本物の愛”ってなんだ。おれにそんな崇高なものがわかるのか。仮に“愛”がわかったとしても、それは日本語の“愛”なだけで、この絵に描かれている“Love”だか“Liebe”だかがわかったことにはならないだろうし、もう途方がない。
いやいやいや――“本物の愛”を知らなかったからこそ、その初めての邂逅に衝撃を受け、感動して泣いているのではないのか。
いやいやいやいや――だいたい、感情と涙腺が直結しているわたしは、わずかに心が動いただけで涙を流すようにできている。もうそういう体質なのだ。だから、“有名な絵を肉眼で観ることができた”などといった、なんとも浅はかな理由で泣いているだけなのかもしれない。
――いや。理由はやはりどうでもよく。美術館の最大の見所であり、世界各国の観光客が絶えないその場所で、ひとりのバカな日本人に堂々と涙を流させるだけのチカラが少なくともその絵にはあると、まぁそういうことだ。
3日目のこと・3 ~ウィーンを“旅”する~ [はじめての複数国周遊~ウィーン編~]
クリムトの『接吻』があるのはベルヴェデーレ上宮であるが、“上”があるのなら当然“下”もあり、下宮も美術品展示がされている。せっかくなら行ってやろうと思うが、上宮とは別料金で、開館時間も違う。下宮はこの日、夜9時まで開いているので、とりあえず後まわし。閉館時間が夕方の場所へ先に行くことにして、まずは、シェーンブルン宮殿で購入したシシーチケットで入場できるホーフブルク・旧王宮へむかう。
旧王宮で見学できるのは、“皇帝の居室”と呼ばれる数十室と宮廷銀器コレクションなのだが、これがまた、数時間前にシェーンブルンでさんざん豪華絢爛なものを見てきたせいか、なんの驚きも感動もおこらない。銀器コレクションにいたっては、皿だ、ナイフだ、フォークだと食器類を見せられたところで――細工・装飾はまぁすごいかなとは思うが――「だからどうした」と。
シェーンブルン同様、オーディオガイドの料金が含まれていて、入場時に貸与されるのだが(音声担当はシェーンブルンとは違う男女ふたりなのだが、これまたド素人で、かみまくり)、皇帝の居室はがんばってすべての説明を聴きながら見学したものの、銀器コレクションでいいかげん飽きてしまい、ガイドはすっとばして展示物を一瞥し、さっさと退場してしまった。時間ももったいない。
しかし急いだとはいえ、すでに時間は午後5時に迫ろうとしていた。夕方のうちにあと2館、レオポルト美術館とウィーン・ミュージアムに行くつもりでいたのだが、どちらも閉館時間は午後6時。一方は諦めなくてはならないだろう。
どちらか決められないまま、とりあえず王宮に近いレオポルト美術館の前まで行ってみると、最大の目玉、シーレの自画像が建物の壁面にでかでかと掲げられていた。
もう一方のウィーン・ミュージアムはカールスプラッツにあり、何度か前を通っているのだが、そういえば、こちらにも最大の目玉、クリムトの『エミーリエ・フレーゲ』の巨大な垂れ幕が吊り下がってたっけか。
さぁ、シーレかクリムトか――
――ほんの数時間前、ベルヴェデーレで『接吻』にいたく心酔してしまったわたしである。レオポルトにもクリムト作品はあるが、『接吻』にも描かれていたエミーリエの肖像画を、ここにきて観ないわけにはいかないだろう。シーレの顔の前を通り過ぎ、カールスプラッツへと向かった。
行ってみたら、なるほど、『エミーリエ・フレーゲ』の垂れ幕は、それが目玉というだけでなく、特別展示でエミーリエ・フレーゲそのひとについての特集をしていたためのものだった。なんたる僥倖。
エミーリエが写された写真、エミーリエ自身がデザインしたという服やら家具やらが展示されていて、なかなかに興味深い。
あぁしかし――閉館時間が迫っていた。
その他にもクリムト作品は『パラス・アテネ』などあり、もっとじっくり観ていたかったが、悔しいかな時間切れ。
この美術館は、もともと“歴史博物館”と呼ばれていたそうで、そのテの展示も多数あるのだが、まぁそのへんはかるく流しつつ、後ろ髪をひかれる思いで退館した。
次は再びベルヴェデーレ。満を待して下宮へ――行ってはみたものの・・・。
まず下宮で見学できるのは3部屋のみで、わたしにとっては特にグッとくる展示はなにもなく、別棟で開催されていた特別展示は――でた、宿敵モダンアート。せっかく金を払っているのだから、少しは理解する努力をしてみたものの、ダメだ、やっぱりわけわからん。15分とかからず退館してしまった。
ちなみに、周辺には日本人にもおなじみの絵面のポスターがそこかしこに貼られていた。下宮では来週からミュシャ展が開催されるらしい。
うん、まぁ、これを悔やんでも仕方あるまい。
さて。
まだだ、まだ終わらんよ。
これで終わるわけにはいかない。本日は夜9時まで開いている美術館がもう1館ある。
アルベルティーナへ。
入ってみると、王宮の一部を使用しながらも大胆に現代建築を取り入れているこの外観同様、展示も内装も新旧が入り混じっていて、なんだかクラクラする。
上階と下階がモダンなつくりで、展示もモダンアート――こちらはモダンアートといってもピカソやらセザンヌやら印象派やらの馴染みあるもので、わたしにもじゅうぶん鑑賞対象となりうる展示であった。皮肉なことに、なかでもシーレの作品はたいへん興味深いものがあり、“あぁ、レオポルトに行ってもよかったかも・・・”と。
中階は王宮そのままの内装で、展示は古典絵画を中心に展示されている。内装の印象は、少し前に見た旧王宮のものとまったく変わらず新鮮味はないが、絵がある分お得感はある。
その絢爛豪華な一室に、ルーベンスとシーレのデッサンが並んで展示されていたりして、もうわけがわからなくなってきた。時空の感覚がゆらぐ。軽くトリップ。
おれはいま何処にいるのか。ウィーンだよな。おぉ、おれいまウィーンにいるってすごくないか。うへへ・・・。あれ? “いま”っていつのことだ――
――うん、まぁ、疲れているのだろう。
そう、疲れていないわけがないのだ。なにしろホテルで朝食を摂ってから、12時間以上なにも食べてない。飲んでもいない。これまで美術館、観光名所の数をこなすのに必死でメシどころではなく、疲労感の自覚もなかったが(イタリア旅行のときとは違って膝痛もないし)、ここにきてさすがに限界をむかえたか。
自覚症状がないというのもかなり危険だろう。閉館時間も迫ってきたので、ここらで現実に戻り、カロリー摂取するべくアルベルティーナを出た。
旧王宮で見学できるのは、“皇帝の居室”と呼ばれる数十室と宮廷銀器コレクションなのだが、これがまた、数時間前にシェーンブルンでさんざん豪華絢爛なものを見てきたせいか、なんの驚きも感動もおこらない。銀器コレクションにいたっては、皿だ、ナイフだ、フォークだと食器類を見せられたところで――細工・装飾はまぁすごいかなとは思うが――「だからどうした」と。
シェーンブルン同様、オーディオガイドの料金が含まれていて、入場時に貸与されるのだが(音声担当はシェーンブルンとは違う男女ふたりなのだが、これまたド素人で、かみまくり)、皇帝の居室はがんばってすべての説明を聴きながら見学したものの、銀器コレクションでいいかげん飽きてしまい、ガイドはすっとばして展示物を一瞥し、さっさと退場してしまった。時間ももったいない。
しかし急いだとはいえ、すでに時間は午後5時に迫ろうとしていた。夕方のうちにあと2館、レオポルト美術館とウィーン・ミュージアムに行くつもりでいたのだが、どちらも閉館時間は午後6時。一方は諦めなくてはならないだろう。
どちらか決められないまま、とりあえず王宮に近いレオポルト美術館の前まで行ってみると、最大の目玉、シーレの自画像が建物の壁面にでかでかと掲げられていた。
もう一方のウィーン・ミュージアムはカールスプラッツにあり、何度か前を通っているのだが、そういえば、こちらにも最大の目玉、クリムトの『エミーリエ・フレーゲ』の巨大な垂れ幕が吊り下がってたっけか。
さぁ、シーレかクリムトか――
――ほんの数時間前、ベルヴェデーレで『接吻』にいたく心酔してしまったわたしである。レオポルトにもクリムト作品はあるが、『接吻』にも描かれていたエミーリエの肖像画を、ここにきて観ないわけにはいかないだろう。シーレの顔の前を通り過ぎ、カールスプラッツへと向かった。
行ってみたら、なるほど、『エミーリエ・フレーゲ』の垂れ幕は、それが目玉というだけでなく、特別展示でエミーリエ・フレーゲそのひとについての特集をしていたためのものだった。なんたる僥倖。
エミーリエが写された写真、エミーリエ自身がデザインしたという服やら家具やらが展示されていて、なかなかに興味深い。
あぁしかし――閉館時間が迫っていた。
その他にもクリムト作品は『パラス・アテネ』などあり、もっとじっくり観ていたかったが、悔しいかな時間切れ。
この美術館は、もともと“歴史博物館”と呼ばれていたそうで、そのテの展示も多数あるのだが、まぁそのへんはかるく流しつつ、後ろ髪をひかれる思いで退館した。
次は再びベルヴェデーレ。満を待して下宮へ――行ってはみたものの・・・。
まず下宮で見学できるのは3部屋のみで、わたしにとっては特にグッとくる展示はなにもなく、別棟で開催されていた特別展示は――でた、宿敵モダンアート。せっかく金を払っているのだから、少しは理解する努力をしてみたものの、ダメだ、やっぱりわけわからん。15分とかからず退館してしまった。
ちなみに、周辺には日本人にもおなじみの絵面のポスターがそこかしこに貼られていた。下宮では来週からミュシャ展が開催されるらしい。
うん、まぁ、これを悔やんでも仕方あるまい。
さて。
まだだ、まだ終わらんよ。
これで終わるわけにはいかない。本日は夜9時まで開いている美術館がもう1館ある。
アルベルティーナへ。
入ってみると、王宮の一部を使用しながらも大胆に現代建築を取り入れているこの外観同様、展示も内装も新旧が入り混じっていて、なんだかクラクラする。
上階と下階がモダンなつくりで、展示もモダンアート――こちらはモダンアートといってもピカソやらセザンヌやら印象派やらの馴染みあるもので、わたしにもじゅうぶん鑑賞対象となりうる展示であった。皮肉なことに、なかでもシーレの作品はたいへん興味深いものがあり、“あぁ、レオポルトに行ってもよかったかも・・・”と。
中階は王宮そのままの内装で、展示は古典絵画を中心に展示されている。内装の印象は、少し前に見た旧王宮のものとまったく変わらず新鮮味はないが、絵がある分お得感はある。
その絢爛豪華な一室に、ルーベンスとシーレのデッサンが並んで展示されていたりして、もうわけがわからなくなってきた。時空の感覚がゆらぐ。軽くトリップ。
おれはいま何処にいるのか。ウィーンだよな。おぉ、おれいまウィーンにいるってすごくないか。うへへ・・・。あれ? “いま”っていつのことだ――
――うん、まぁ、疲れているのだろう。
そう、疲れていないわけがないのだ。なにしろホテルで朝食を摂ってから、12時間以上なにも食べてない。飲んでもいない。これまで美術館、観光名所の数をこなすのに必死でメシどころではなく、疲労感の自覚もなかったが(イタリア旅行のときとは違って膝痛もないし)、ここにきてさすがに限界をむかえたか。
自覚症状がないというのもかなり危険だろう。閉館時間も迫ってきたので、ここらで現実に戻り、カロリー摂取するべくアルベルティーナを出た。
3日目のこと・4 ~カフェ・ザッハー~ [はじめての複数国周遊~ウィーン編~]
ウィーンにおける最後の晩餐である。さぁ、なにを食ってやろうか。
アルベルティーナを出て、シュテファン寺院周辺をふらふらしてみる。
セルフ式のシーフードレストランがあり、なかなかに入りやすそうだったのだが、中を見るに席が空いてないようなので断念。
ま、マクドナルドでいいか――と、近くの店に入ろうとしたら――あぁそういえば――すぐ近くに昨日のイタリアンレストランがあるのを思い出し――ま、いいか、まずくなかったし――昨日と同じ、ボロネーゼで済ませてしまった。
ヨーロッパに来ておいてまで発揮している、この食へのこだわりの無さには我ながらどうしたもんだろうと思うが、ま、金もかからないし、いいか。
腹ごなしに、夜のウィーンを散歩。
ちょいと路地裏に入ってみたり。
この程度のことで満足できるのだ。金がかからなくていい。
さらに、やたらと装飾的な建築が並ぶリング沿いをぷらぷら。
王宮、美術史美術館から、国会議事堂前。
となりの市庁舎の前にはアイススケート場が施設されていた。
手をとりあう親子、カップル。しあわせそうな風景――けっ、しゃらくせー。こうしてひとり撮影しているのも、なんだか盗撮しているみたいに思えてきて、募る敗北感に耐え切れず、やってきたトラムに逃げ込んだ。
そして再びオペラ座。
その真裏。
ウィーンに来てからもう何度も通っていて――はたして、わたしのような汚い身なりの日本人男ひとりで入れる雰囲気なのか――じゅうぶんな下見だけはおこなっていた。
すでに夜の10時。
さぁ、そろそろウィーンにおける(美術品以外の)メインイベントを、最後の最後にこなしてやろうではないか。ウィーンに来て、ここに行かないわけにはいかないだろう。
食にこだわりがなくとも、コーヒーと甘いものは別なのさ。
時間が時間だけに客はまばら。“混雑のどさくさに紛れて勢いで入店”という手は使えない。入ったところでわたしの身なりの汚さばかりが際立つだろう。
入り口の前で躊躇するが、ええい、ままよ。旅の恥はかきすてだ。
入店すると、半ば強引にコートを預けさせられる。このへんは事前に情報を得ていたので戸惑わない。べつにクロークに預けるほど大そうなコートでもない。汚いウインドブレーカーである。それでも返却時にしっかり1ユーロ取られるというのも聞いていた。このような文化に慣れないわたしにはいまいち納得できないが、ま、しょうがない。そういうシステムなのだろう。日本の“お通し”みたいなものか。いや、そもそも「自分で持っているからいいよ」と断ればいい話なのかもしれないが、びびって流されるままにコートを預けてしまった。
席に案内され、着席。そして――
――あぁそうだ。旅の恥はかきすてだ。しょせんわたしも、いち観光客。躊躇なく注文してやりましたよ、ザッハートルテ。
で、これが、じつにどうってことない。
甘いのはおおいに結構なのだが、それがどうにもクドい甘さで、アプリコットジャムの酸味がなんとか抵抗しているものの、けっきょく負けてしまっている。
ひと口、ふた口くらいまではいいが、一個食い終わるころには、もういいや、と。
この店自体の雰囲気も、そりゃ高級ホテル・ザッハーのカフェだもの。格調がお高くて、わたしのような貧乏人には居心地が悪い。同じ格調高いカフェでも、ヴェネツィアのカフェ・フローリアンは居心地も良く、ぜひもう一度行きたいと思うが、こちらは一回来れば、もういいかな、と。
会計後、コートを受け取りにクロークへむかうと、これはよくわかっていない観光客対策なのか、わざわざ“1EURO”と表示されていた。こういうのは本来、“客のこころづけ”のはずだが、それが定額というのはどうしたもんだろう。そして、どんな状況であれ、それなりの格の店ならば、コートがあれば預けなければならないというのもマナーのひとつなのか。わからん。まだまだわたしも勉強が足りない。
ま、とりあえず、ウィーン最後の夜に異文化体験できてよかったなと、そういうことにしておこうか。
アルベルティーナを出て、シュテファン寺院周辺をふらふらしてみる。
セルフ式のシーフードレストランがあり、なかなかに入りやすそうだったのだが、中を見るに席が空いてないようなので断念。
ま、マクドナルドでいいか――と、近くの店に入ろうとしたら――あぁそういえば――すぐ近くに昨日のイタリアンレストランがあるのを思い出し――ま、いいか、まずくなかったし――昨日と同じ、ボロネーゼで済ませてしまった。
ヨーロッパに来ておいてまで発揮している、この食へのこだわりの無さには我ながらどうしたもんだろうと思うが、ま、金もかからないし、いいか。
腹ごなしに、夜のウィーンを散歩。
ちょいと路地裏に入ってみたり。
この程度のことで満足できるのだ。金がかからなくていい。
さらに、やたらと装飾的な建築が並ぶリング沿いをぷらぷら。
王宮、美術史美術館から、国会議事堂前。
となりの市庁舎の前にはアイススケート場が施設されていた。
手をとりあう親子、カップル。しあわせそうな風景――けっ、しゃらくせー。こうしてひとり撮影しているのも、なんだか盗撮しているみたいに思えてきて、募る敗北感に耐え切れず、やってきたトラムに逃げ込んだ。
そして再びオペラ座。
その真裏。
ウィーンに来てからもう何度も通っていて――はたして、わたしのような汚い身なりの日本人男ひとりで入れる雰囲気なのか――じゅうぶんな下見だけはおこなっていた。
すでに夜の10時。
さぁ、そろそろウィーンにおける(美術品以外の)メインイベントを、最後の最後にこなしてやろうではないか。ウィーンに来て、ここに行かないわけにはいかないだろう。
食にこだわりがなくとも、コーヒーと甘いものは別なのさ。
時間が時間だけに客はまばら。“混雑のどさくさに紛れて勢いで入店”という手は使えない。入ったところでわたしの身なりの汚さばかりが際立つだろう。
入り口の前で躊躇するが、ええい、ままよ。旅の恥はかきすてだ。
入店すると、半ば強引にコートを預けさせられる。このへんは事前に情報を得ていたので戸惑わない。べつにクロークに預けるほど大そうなコートでもない。汚いウインドブレーカーである。それでも返却時にしっかり1ユーロ取られるというのも聞いていた。このような文化に慣れないわたしにはいまいち納得できないが、ま、しょうがない。そういうシステムなのだろう。日本の“お通し”みたいなものか。いや、そもそも「自分で持っているからいいよ」と断ればいい話なのかもしれないが、びびって流されるままにコートを預けてしまった。
席に案内され、着席。そして――
――あぁそうだ。旅の恥はかきすてだ。しょせんわたしも、いち観光客。躊躇なく注文してやりましたよ、ザッハートルテ。
で、これが、じつにどうってことない。
甘いのはおおいに結構なのだが、それがどうにもクドい甘さで、アプリコットジャムの酸味がなんとか抵抗しているものの、けっきょく負けてしまっている。
ひと口、ふた口くらいまではいいが、一個食い終わるころには、もういいや、と。
この店自体の雰囲気も、そりゃ高級ホテル・ザッハーのカフェだもの。格調がお高くて、わたしのような貧乏人には居心地が悪い。同じ格調高いカフェでも、ヴェネツィアのカフェ・フローリアンは居心地も良く、ぜひもう一度行きたいと思うが、こちらは一回来れば、もういいかな、と。
会計後、コートを受け取りにクロークへむかうと、これはよくわかっていない観光客対策なのか、わざわざ“1EURO”と表示されていた。こういうのは本来、“客のこころづけ”のはずだが、それが定額というのはどうしたもんだろう。そして、どんな状況であれ、それなりの格の店ならば、コートがあれば預けなければならないというのもマナーのひとつなのか。わからん。まだまだわたしも勉強が足りない。
ま、とりあえず、ウィーン最後の夜に異文化体験できてよかったなと、そういうことにしておこうか。
4日目のこと・1 ~空港へ急ぐ~ [はじめての複数国周遊~ウィーン編~]
旅は4日目にして、本日、早くもオーストリアを出国する。名残惜しむには短い滞在期間であるし、それでいてみるべきものは大体みてやった気分でもあるし、これくらいでちょうどよかったのだろう。
さて、次はマドリードへ行くわけだが、ここでいよいよ自身初の格安航空会社の利用となる。
ま、格安といっても、そのなかでは大手の部類に入るエアベルリンの利用ではあるが、それでもなにがあるかわかったもんじゃない。ナショナルフラッグキャリアに比べれば、トラブルの頻度や、それに関する客側の自己責任の度合いも大きいはず。とりあえず早めに空港に行っておくことに越したことはないだろう。
ウェブサイトや予約書の説明には、“出発の30分前までに必ずチェックインしやがれこのやろー”みたいなことが書かれてはいるが、本当に30分前ギリギリにチェックインするのはまずいだろう、いろいろ。最低でも、国際線では常識であるところの“2時間前”には空港に着いておきたい。
ところがどっこいしょ。朝食を摂りすぎたせいかトイレに時間がかかったり、部屋を出る直前になって、機内持ち込み用のカバンにスペインのガイドブックを入れ忘れているのに気づいて慌てて入れ替えたりで、タイムロス。飛行機の出発は午前11:30のところ、ホテルを出たのが8:45。“空港2時間前到着”はすでにして危うい。
さらに、UバーンからSバーン空港線に乗り換えるためのミッテ駅で迷ってしまった。Sバーンの乗り場がどこにあるかわからない。往きで一度通っているはずなのに――ま、歩く方向が逆で景色も違うのだから、見覚えがなくて当然なのだが。
地上と地下を行ったり来たりしながら15分。やっとこさSバーン乗り場にたどり着いたと思ったら、今度はミッテ駅も空港駅も、始発、終着駅でないため、どのホームでどの列車に乗ればいいのかが、よくわからない。
路線図と時刻表を見つけ、凝視しているうちに、列車が1本、2本と発着していく。なんとか列車の到着ホームと行き先に当たりをつけ、さらに待つ。
困ったことに、すべての路線が同一ホームに入ってくるようなので、違う路線の列車に乗ってしまう恐れもある。やってくる列車の行き先と路線番号に注意して、また1本、2本とやりすごし、待つこと15分ほど。やってきた目当ての列車にようやく乗り込んだ。
ウィーン到着時に見たコンビナートは、目に入ってはいるが、見えてない。それは募る焦燥感からか、単に夜景の美しさがないからか。
空港駅到着時刻は10時を大幅にまわっていた。
あぁ、やばいかも。だいじょうぶなのか。
リミットの“出発30分前”まではまだ時間はじゅうぶん残っているが、いちおう早足でチェックインカウンターに急ぐ。
ところが空港に一歩入ると、うって変わって方向指示もわかりやすく、ターミナルから一度外へ出た別棟にあるエアベルリンのチェックインカウンターへも、迷わずたどり着くことができた。
カウンターは空いていて、待つことなく係りの前へ。パスポートと予約書を見せ、荷物を預け、あっさり手続き完了。このへん、大手航空会社となんら変わらない。
はぁ、なんだかんだで余裕だったではないか。
いろいろと取越し苦労だったようで、焦ってヒヤヒヤして、それでなんだか損した気分になるもんだから、おれってば、なんとまぁあさましい人間かとあらためて思う、ウィーンにおける最後のひとときであった。
さて、次はマドリードへ行くわけだが、ここでいよいよ自身初の格安航空会社の利用となる。
ま、格安といっても、そのなかでは大手の部類に入るエアベルリンの利用ではあるが、それでもなにがあるかわかったもんじゃない。ナショナルフラッグキャリアに比べれば、トラブルの頻度や、それに関する客側の自己責任の度合いも大きいはず。とりあえず早めに空港に行っておくことに越したことはないだろう。
ウェブサイトや予約書の説明には、“出発の30分前までに必ずチェックインしやがれこのやろー”みたいなことが書かれてはいるが、本当に30分前ギリギリにチェックインするのはまずいだろう、いろいろ。最低でも、国際線では常識であるところの“2時間前”には空港に着いておきたい。
ところがどっこいしょ。朝食を摂りすぎたせいかトイレに時間がかかったり、部屋を出る直前になって、機内持ち込み用のカバンにスペインのガイドブックを入れ忘れているのに気づいて慌てて入れ替えたりで、タイムロス。飛行機の出発は午前11:30のところ、ホテルを出たのが8:45。“空港2時間前到着”はすでにして危うい。
さらに、UバーンからSバーン空港線に乗り換えるためのミッテ駅で迷ってしまった。Sバーンの乗り場がどこにあるかわからない。往きで一度通っているはずなのに――ま、歩く方向が逆で景色も違うのだから、見覚えがなくて当然なのだが。
地上と地下を行ったり来たりしながら15分。やっとこさSバーン乗り場にたどり着いたと思ったら、今度はミッテ駅も空港駅も、始発、終着駅でないため、どのホームでどの列車に乗ればいいのかが、よくわからない。
路線図と時刻表を見つけ、凝視しているうちに、列車が1本、2本と発着していく。なんとか列車の到着ホームと行き先に当たりをつけ、さらに待つ。
困ったことに、すべての路線が同一ホームに入ってくるようなので、違う路線の列車に乗ってしまう恐れもある。やってくる列車の行き先と路線番号に注意して、また1本、2本とやりすごし、待つこと15分ほど。やってきた目当ての列車にようやく乗り込んだ。
ウィーン到着時に見たコンビナートは、目に入ってはいるが、見えてない。それは募る焦燥感からか、単に夜景の美しさがないからか。
空港駅到着時刻は10時を大幅にまわっていた。
あぁ、やばいかも。だいじょうぶなのか。
リミットの“出発30分前”まではまだ時間はじゅうぶん残っているが、いちおう早足でチェックインカウンターに急ぐ。
ところが空港に一歩入ると、うって変わって方向指示もわかりやすく、ターミナルから一度外へ出た別棟にあるエアベルリンのチェックインカウンターへも、迷わずたどり着くことができた。
カウンターは空いていて、待つことなく係りの前へ。パスポートと予約書を見せ、荷物を預け、あっさり手続き完了。このへん、大手航空会社となんら変わらない。
はぁ、なんだかんだで余裕だったではないか。
いろいろと取越し苦労だったようで、焦ってヒヤヒヤして、それでなんだか損した気分になるもんだから、おれってば、なんとまぁあさましい人間かとあらためて思う、ウィーンにおける最後のひとときであった。