10日目のこと・2 ~サハラ砂漠を歩く~ [はじめての複数国周遊~モロッコ編~]
迎えに来てくれたホテルスタッフはやたらと陽気なモロカンで、渡航前にメールのやりとりをしたり、モロッコ入国後も電話でやりとりしていた男性であった。
適当な世間話をしていると、いつのまにか車は街を離れ、道なき道を進み始めていた。荒野のなか、結構なスピードを出している。なんだか壮絶だ。気分はパリダカ。
観光客であるわたしに気をつかってくれているのか、車内にはモロッコの民族音楽らしきものを流してくれているのだが、再生機がiPod。砂漠の景色に、このとりあわせというわけのわからない状況に軽く混乱しながら、たどり着いたのが、Auberge du sudなる宿(2009年2月時は、このプールは建設中だった)。
まだ午前10時頃と早い時間ではあったが、すぐに部屋に通してもらうことができた。こういう環境ではチェックイン時間など関係ないのであろう。
事前にホームページで知っていたことではあるが、いざ目にしてみると、やはり男ひとりで泊まるにはこっ恥ずかしい感じの部屋だ。
とりあえず立っているのもつらいほどヘトヘトなのでいったん一眠り。15時頃に起きて、さぁいよいよサハラ砂漠へ。
宿はまったくもって砂漠のほとりで、目の前にシェビ大砂丘が迫っている。
この宿ではラクダツアーもおこなっているそうだが、もちろん容赦なく徒歩で。
まぁしかし、ほんとにとんでもないところに来ちゃったな。
砂漠である。しかもあのサハラである。遠く日本に生きる者には映画や小説世界の中のような幻想の舞台にしか思えないであろうサハラ砂漠に、その端っことはいえ、わたしはいるのだ。
車の轍、ラクダと人の足跡は残っているものの、この時間はまわりに人影はない。宿が見えない場所まで歩いてきてしまうと、不安と興奮が入り交じった心境になる。
いまやこの世界には、わたしひとりしかいない。
適当な世間話をしていると、いつのまにか車は街を離れ、道なき道を進み始めていた。荒野のなか、結構なスピードを出している。なんだか壮絶だ。気分はパリダカ。
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観光客であるわたしに気をつかってくれているのか、車内にはモロッコの民族音楽らしきものを流してくれているのだが、再生機がiPod。砂漠の景色に、このとりあわせというわけのわからない状況に軽く混乱しながら、たどり着いたのが、Auberge du sudなる宿(2009年2月時は、このプールは建設中だった)。
まだ午前10時頃と早い時間ではあったが、すぐに部屋に通してもらうことができた。こういう環境ではチェックイン時間など関係ないのであろう。
事前にホームページで知っていたことではあるが、いざ目にしてみると、やはり男ひとりで泊まるにはこっ恥ずかしい感じの部屋だ。
とりあえず立っているのもつらいほどヘトヘトなのでいったん一眠り。15時頃に起きて、さぁいよいよサハラ砂漠へ。
宿はまったくもって砂漠のほとりで、目の前にシェビ大砂丘が迫っている。
この宿ではラクダツアーもおこなっているそうだが、もちろん容赦なく徒歩で。
まぁしかし、ほんとにとんでもないところに来ちゃったな。
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砂漠である。しかもあのサハラである。遠く日本に生きる者には映画や小説世界の中のような幻想の舞台にしか思えないであろうサハラ砂漠に、その端っことはいえ、わたしはいるのだ。
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車の轍、ラクダと人の足跡は残っているものの、この時間はまわりに人影はない。宿が見えない場所まで歩いてきてしまうと、不安と興奮が入り交じった心境になる。
いまやこの世界には、わたしひとりしかいない。
10日目のこと・3 ~サハラ砂漠の夜~ [はじめての複数国周遊~モロッコ編~]
西サハラ、シェビ大砂丘が夕暮れをむかえた頃、わたしは抱えていたひとつの懸念の解決に取りかかることにした。
砂漠まで来てしまったはいいが、ここからどうやって帰るかは決めておらず、どうすればいいのかもわからない。
決まっているのは2日後のマラケシュの宿と、3日後のジュネーブ行きの飛行機だけ。いちおう宿の予約時に、エルフードまで送ってもらうことは頼んであり、またその後は途中のワルザザートという街で1泊しようかなというおおまかなプランがあるにはあるのだが、まぁとにかく、マラケシュまでの最善のルートを探らなければならない。
都合よく宿のロビーの壁に大きなモロッコ全図が貼られており、その前で愛想のいい宿の男性スタッフをつかまえて相談してみた。
とりあえず2日後にはマラケシュに着いていたい。
ついてはエルフードかリッサニから、そっち方面に向かうバスはあるのか。あるとしたら、都合のいい時間に出ているのか。
「いや、ちょっとわからないなけど、たぶんティネリール(エルフード~ワルザザートの中間にある街)まで行かないとないんじゃないか」
え、そうなの? じゃあティネリールまでグランタクシー使うしかないのかな。
「あいやー、それはやめたほうがいい。あんなギッチギチで長時間はキツイでしょ。それにワルザザートまではいいとしても、そこから先が問題。途中のアトラス山脈には雪が残っているから、もしかしたらバスが運休してるかもしれない」
なんと。
「なんならおれが一気にマラケシュまで車で連れていってあげようか。それなら途中で観光案内もしてあげられるし。ワルザザートでいい宿も紹介してあげるよ」
ほー、それはありがたいが、お幾ら?
「ホテル代込みで3000DH」
3000――日本円で約35000円!
いやー、高いッス。
「いやいや相当お得だよ?」
いやー、無理ッス。のーまにーッス――わたしも不用意だった。「No Money」ということばが、彼の気に、モロッコ人の気に障ったのだろう。
「銀行でおろせばあるんでしょ?」
日本人とモロッコ人の感覚のズレ。
そもそもが日本人の一般的感覚からもズレていると思われるわたしに、その日本人の典型を想定して接せられるから、ズレはさらに大きくなる。
ギスギスした空気になってきた。
彼の愛想のよさもすっかり消えてしまった。
どうにもうまくいかない。
あー、イヤだ。
また心の扉が閉じていく。
“遠くモロッコで観光できるくらいの日本人には端金だろう”とでも思ってるんだろうが、おれは“リボ払い”という名の借金してここまで来てるんだ。ギリギリなんだよ。これ以上余計な金は使えない。とにかく無理ッス。
もうこの話はなかったことにしよう。
後に出された晩飯は日本人の口にも合う、ほんとうに美味いものであったのだが、この複雑な気分が阻害して、旨みが心にまで染みない。
なんだか叫びだしたくなったが、それをこらえつつ外をみてみると、月がでたでた月がでた。
危険などかえりみず、ホテルの照明が届かないところまでふらふらと砂丘をのぼった。
砂漠の夜といえば、なんといっても星空が見どころであるが、この夜は月明かりが強すぎて星はあまりよくみえない。
しかし、星のかわりに、砂が月に照らされ蒼く輝いていた。
はじめてみる、蒼い砂漠。
おれはなにをしにここまで来たんだ。
そうだ、この為ではないか。
月の砂漠をはるばると――
少し吹っ切れた。
乾燥した空気に、眩しいくらいの月明かりを遮るものはわたしの身体しかなく、蒼い砂に影を映していた。
11日目のこと・1 ~サハラ砂漠を後にして~ [はじめての複数国周遊~モロッコ編~]
未明に起床して、懐中電灯片手に砂丘をのぼる。
サハラの夜明け。
日の出見物のラクダツアー客が大量にいて若干萎えるが、まぁしょうがない。
朝食後に、ホテルのスタッフが「リッサニ行きのミニバスが8:30頃に来るが、どうする?」と。
料金は20DHという。
ちなみにホテル~エルフードの送迎料は片道150DH。
文字通りケタ違い。
乗ります、ミニバス。
さて出発直前、急に便意をもよおして部屋のトイレに入っていると、部屋のドアをノックしてスタッフが呼んでいる。
「そろそろ時間ですよ」
のんびりしてしまっているこちらも悪いが、それにしても・・・と思いつつ、“いま、トイレに入ってるんですよ”と大声で返す。
数分後、「おい、バスが来ちゃったぞ。待たせてるんだ。早くしろ」と。
いやもう、こっちも悪いよ、そりゃ。でもトイレに入っていると言ってるでしょ。
ホテル業、サービス業の観念が、日本とは大きくかけ離れている。
また昨日の複雑な気分が蘇ってきた。
あぁ嫌だ。
繰り返すがこちらも悪いので、急ぎ用を足し、荷物をまとめてチェックアウト。サハラとの別れの感傷に浸る間もなく、待っていたミニバスに乗り込んだ。
ミニバスはほんとに“ミニ”なバスで、使われているのはただのワンボックスカー(いちおうベンツではある)。地元民の足として、日に数本運行されているらしい。
車内は満員。乗客のみなさんに、通じるかわからないままとりあえず英語で“遅れてすんません”と言ってみると、中のひとりが「日本人か?」と英語で話しかけてきた。運転手も若干英語が通じるようで、リッサニ到着後、そのふたりにワルザザート方面に行くにはどうすればいいか相談してみると、「バスを使うにしろグランタクシーを使うにしろ、ここ(リッサニ)よりは、エルフードまで行ったほうがいい」とのことで、親切にエルフード方面行きのグランタクシーを見つけてくれた。
気分が落ちていたところで、なんだか救われた気がした。
後部座席4人乗りのグランタクシーでエルフードに到着後、また運転手が英語で話しかけてきた。
「この後どうするの?」
本日の目的地はワルザザート。
ガイドブックをみるかぎり、ここエルフードから一本でワルザザートに向かうのは難しそうなので、途中のティネリールという街で次の手段を講ずることになるだろう。
ただティネリールまでの道のりも大変で、ガイドブックには“エルフード~ティネリールのバスは1日3本”とある。ちょうどいい時間にバスがあるのかどうか。グランタクシーを使うにしても、所要時間は2時間30分だそうな。あのギチギチで2時間30分はキビシイ。
どちらも50DH程度で済むらしいのはいいが・・・ためしに運転手にオファーしてみた――
このタクシーをチャーターしてティネリールまで行くことはできる?
「あぁできるとも」
はうまっち?
「400DHでどう?」
――乗合料金の10倍である。相場はわからない。しかし、あのギチギチを味わうことなく、ボロボロとはいえ“ベンツで悠々モロッコの旅”とくれば、妥当な金額だといえなくもない。
値切ることもできるのかもしれないが、まぁいいや。運転手も悪い人じゃなさそうだし。
そのまま400DHで手をうった。
ところがここで運転手、「友達を乗せていきたいんだけど、いいか?」
おいおいおい、どういうこと?
“悪い人じゃない”と判断したおれの目は節穴だったのか?
いやいや、これしきで“悪い人”と断定するのはわたしの被害妄想も甚だしい。だいたい、日本人とモロッコ人の価値観の違い、職業倫理の違いはこの旅で散々味わってきて、ついさっきも痛感したばかりではないか。いいかげん慣れなければならない。
ここはひとつ、寛容になろう。
快く(見せながら)了承した。
ま、わたしが後部座席、その運転手の友人とやらが助手席に座るぶんにはなんの支障もないし、断る理由はない。それに運転手とわたしふたりっきりで、特に会話もないまま2時間半を過ごすよりは、かえってこちらも気が楽だ。
ベンツは一路、ティネリールへとひた走る――
――しかしまぁ、旅はなかなかうまくはいかないもので。
道程3分の2あたりと思われるところで、車に故障発生。どこぞやの街へたどり着いたはいいが、そこで別のグランタクシー、しかも乗合に乗り換えるはめになってしまった。
ただわたしがチャーターした側の運転手。やっぱり悪い人ではなかった。
返金はしてくれないまでも、ティネリールまでの料金支払いを済ませてくれたうえ、こちらからは要望を出していないのに、助手席のひとり使用を次の運転手にとりあってくれていた。なかなか気がきくではないか。
日本人が金にものをいわせている典型のような気がして、後部座席でギチギチになっている4人の視線が痛いが、事実高い金を払っており、結果こうなってしまっているのだがら、この気まずさは甘んじて受け入れよう。
金にものをいわせた傲慢な日本人を乗せたグランタクシーは、助手席にひとり分スペースがあるのが丸見えなのにもかかわらず、道中、手を上げているお年寄りやご婦人の乗車拒否を繰り返しながらティネリールに到着した。
サハラの夜明け。
日の出見物のラクダツアー客が大量にいて若干萎えるが、まぁしょうがない。
朝食後に、ホテルのスタッフが「リッサニ行きのミニバスが8:30頃に来るが、どうする?」と。
料金は20DHという。
ちなみにホテル~エルフードの送迎料は片道150DH。
文字通りケタ違い。
乗ります、ミニバス。
さて出発直前、急に便意をもよおして部屋のトイレに入っていると、部屋のドアをノックしてスタッフが呼んでいる。
「そろそろ時間ですよ」
のんびりしてしまっているこちらも悪いが、それにしても・・・と思いつつ、“いま、トイレに入ってるんですよ”と大声で返す。
数分後、「おい、バスが来ちゃったぞ。待たせてるんだ。早くしろ」と。
いやもう、こっちも悪いよ、そりゃ。でもトイレに入っていると言ってるでしょ。
ホテル業、サービス業の観念が、日本とは大きくかけ離れている。
また昨日の複雑な気分が蘇ってきた。
あぁ嫌だ。
繰り返すがこちらも悪いので、急ぎ用を足し、荷物をまとめてチェックアウト。サハラとの別れの感傷に浸る間もなく、待っていたミニバスに乗り込んだ。
ミニバスはほんとに“ミニ”なバスで、使われているのはただのワンボックスカー(いちおうベンツではある)。地元民の足として、日に数本運行されているらしい。
車内は満員。乗客のみなさんに、通じるかわからないままとりあえず英語で“遅れてすんません”と言ってみると、中のひとりが「日本人か?」と英語で話しかけてきた。運転手も若干英語が通じるようで、リッサニ到着後、そのふたりにワルザザート方面に行くにはどうすればいいか相談してみると、「バスを使うにしろグランタクシーを使うにしろ、ここ(リッサニ)よりは、エルフードまで行ったほうがいい」とのことで、親切にエルフード方面行きのグランタクシーを見つけてくれた。
気分が落ちていたところで、なんだか救われた気がした。
後部座席4人乗りのグランタクシーでエルフードに到着後、また運転手が英語で話しかけてきた。
「この後どうするの?」
本日の目的地はワルザザート。
ガイドブックをみるかぎり、ここエルフードから一本でワルザザートに向かうのは難しそうなので、途中のティネリールという街で次の手段を講ずることになるだろう。
ただティネリールまでの道のりも大変で、ガイドブックには“エルフード~ティネリールのバスは1日3本”とある。ちょうどいい時間にバスがあるのかどうか。グランタクシーを使うにしても、所要時間は2時間30分だそうな。あのギチギチで2時間30分はキビシイ。
どちらも50DH程度で済むらしいのはいいが・・・ためしに運転手にオファーしてみた――
このタクシーをチャーターしてティネリールまで行くことはできる?
「あぁできるとも」
はうまっち?
「400DHでどう?」
――乗合料金の10倍である。相場はわからない。しかし、あのギチギチを味わうことなく、ボロボロとはいえ“ベンツで悠々モロッコの旅”とくれば、妥当な金額だといえなくもない。
値切ることもできるのかもしれないが、まぁいいや。運転手も悪い人じゃなさそうだし。
そのまま400DHで手をうった。
ところがここで運転手、「友達を乗せていきたいんだけど、いいか?」
おいおいおい、どういうこと?
“悪い人じゃない”と判断したおれの目は節穴だったのか?
いやいや、これしきで“悪い人”と断定するのはわたしの被害妄想も甚だしい。だいたい、日本人とモロッコ人の価値観の違い、職業倫理の違いはこの旅で散々味わってきて、ついさっきも痛感したばかりではないか。いいかげん慣れなければならない。
ここはひとつ、寛容になろう。
快く(見せながら)了承した。
ま、わたしが後部座席、その運転手の友人とやらが助手席に座るぶんにはなんの支障もないし、断る理由はない。それに運転手とわたしふたりっきりで、特に会話もないまま2時間半を過ごすよりは、かえってこちらも気が楽だ。
ベンツは一路、ティネリールへとひた走る――
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――しかしまぁ、旅はなかなかうまくはいかないもので。
道程3分の2あたりと思われるところで、車に故障発生。どこぞやの街へたどり着いたはいいが、そこで別のグランタクシー、しかも乗合に乗り換えるはめになってしまった。
ただわたしがチャーターした側の運転手。やっぱり悪い人ではなかった。
返金はしてくれないまでも、ティネリールまでの料金支払いを済ませてくれたうえ、こちらからは要望を出していないのに、助手席のひとり使用を次の運転手にとりあってくれていた。なかなか気がきくではないか。
日本人が金にものをいわせている典型のような気がして、後部座席でギチギチになっている4人の視線が痛いが、事実高い金を払っており、結果こうなってしまっているのだがら、この気まずさは甘んじて受け入れよう。
金にものをいわせた傲慢な日本人を乗せたグランタクシーは、助手席にひとり分スペースがあるのが丸見えなのにもかかわらず、道中、手を上げているお年寄りやご婦人の乗車拒否を繰り返しながらティネリールに到着した。
11日目のこと・2 ~民営バスにてこの旅を考える~ [はじめての複数国周遊~モロッコ編~]
ティネリール到着後、まずCTMバス乗り場に行って時間を調べようとしたら、その前に民営バス乗り場があったため、とりあえずワルザザート行きがあるか訊いてみたところ、まぁなんと5分後に発車するらしい。2回乗って勝手知ったるCTMの方が安心感はあるが、「5分後」と言われては選択の余地はない。運賃はCTMより安いはずだから、まぁいいではないか。70DH。即決でチケット購入。
ちなみに時間は正午過ぎ。いい加減腹が減ってきてはいたものの、食事時間はとれない。が、時間も出費も節約できて、まぁいいではないか。
乗った民営バスは、ガイドブックの情報どおり、確かにCTMよりは汚いものの、ガマンできないレベルでは全然なく、いや“汚い”というよりも、車体が“古い”というだけで、不快感はまったく起こらない。
ただCTMと違って、民営は途中乗降がかなり頻繁にあるため、目的地までより時間がかかるわけだが、運賃が安いのだから、まぁいいではないか。
バスが走るこのワルザザートまでの道は、“カスバ街道”とよばれている。“カスバ”とは、城壁に囲まれた要塞だそうで、その跡がこの道沿いに多く残っている。
わりと壮絶なそのカスバ街道の景色の中、バスはひた走る。
バスは客を吐いては吸い、吐いては吸いを繰り返しているうち、ティネリール出発時は満員に近かったのが、いつのまにやら6割程度まで減っていた。
わたしの隣の席も空いたところで、心にも余裕ができて、ふと物思いに耽る。そして考える。
いったいおれは今なにをやってるんだ――
よくひとにきかれる。
「ひとり旅のなにが楽しいの?」
いやべつにひとり旅は楽しくなんてない。
旅先でひとり、キャッキャと笑ったことなんてただの一度もない。
もし“楽しさ”を求めるのであれば、ひとり旅なんてまったくもって相応しくない。
ただ、わたしが旅に求めるのは、喜怒哀楽でいえば“楽”ではなく、“喜”。
普段住む街から遠く離れた非日常の世界に赴き、その物事を実際にこの目で見て、耳で聴いて、空気に触れることで得られる知識と経験は、テレビや本で得られるそれとはケタ違いの情報量であり、なにものにも替え難い。
はたしてその知識と経験が日常生活にどれほど役に立つのかはわからないが、しかし、それでわたしのささやかな知識欲は満たされ、そのことは大きな喜びをもたらしてくれるのだ。
だが今はどうだ。
おれは今、喜びを得ているのか?
ウィーンとスペイン各地で、観たいものはすべて観た。
モロッコ上陸で、“アフリカへ行く”という目的は達成した。
フェズでメディナ、スークを歩き、昨日はついにサハラ砂漠で一泊してしまった。
やるべきことは、すべてやってしまっていた。
『バレンタインデーにマラケシュからレマン湖にむかう』という大いなるミッションは残されてはいるが、フェズでみるべきものはみてしまったおかげで、その名前以外、マラケシュという街に目的はない。その後もスイスで2泊しながら鉄道の旅をするという目的はあるが、少なくとももうモロッコに用はない。
この道程はすでに日本への帰り道にしかすぎず、今はただただ、移動して、金を使って、たまに嫌な思いをして、時間を消化しているだけ。
“喜び”は感じていない。
海外旅行で初めての気分に陥っていた。
“はやくこの国を出たい”
モロッコに来て嫌な思いを何度かしたが、親切なひとにもたくさん出会えた。いや、基本、モロッコ人はいい人ばかりである。
まぁそれはそれでいいのだが、それ以前の問題がある。
そもそもわたしはコミュニケーション不全なのだ。その人となりの善し悪しは関係なく、なるべく他人と係わりたくない。
そんな人間に、他人とのコミュニケーションが必須である発展途上国の観光は、かなりの無理があったということだ。
わたしはよくインド旅行を薦められる。“インドはハマる人はハマるし、ダメな人にはとことんダメ”といわれ、わたしは前者のような印象を他人に与えているようなのだが、たぶん、実際に行ってみたら後者になることだろう。
ヨーロッパが恋しい。はやくスイスにたどり着きたい――
――いやしかし、まぁいいではないか。
『バレンタインデーにマラケシュからレマン湖にむかう』
スイスにたどり着くこと自体が、当面の、そしてこの旅最大の目的ではあるのだ。それを頼りにモチベーションを保てばいい。
気を取り直した。
“移動する為に移動している”という、この訳のわからない状況を直視すると虚しくなるだけなので、せっかく取り直した気を削がないよう、あまり深く考えず、今はただバスの揺れに身をまかせる。
ちなみに時間は正午過ぎ。いい加減腹が減ってきてはいたものの、食事時間はとれない。が、時間も出費も節約できて、まぁいいではないか。
乗った民営バスは、ガイドブックの情報どおり、確かにCTMよりは汚いものの、ガマンできないレベルでは全然なく、いや“汚い”というよりも、車体が“古い”というだけで、不快感はまったく起こらない。
ただCTMと違って、民営は途中乗降がかなり頻繁にあるため、目的地までより時間がかかるわけだが、運賃が安いのだから、まぁいいではないか。
バスが走るこのワルザザートまでの道は、“カスバ街道”とよばれている。“カスバ”とは、城壁に囲まれた要塞だそうで、その跡がこの道沿いに多く残っている。
わりと壮絶なそのカスバ街道の景色の中、バスはひた走る。
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バスは客を吐いては吸い、吐いては吸いを繰り返しているうち、ティネリール出発時は満員に近かったのが、いつのまにやら6割程度まで減っていた。
わたしの隣の席も空いたところで、心にも余裕ができて、ふと物思いに耽る。そして考える。
いったいおれは今なにをやってるんだ――
よくひとにきかれる。
「ひとり旅のなにが楽しいの?」
いやべつにひとり旅は楽しくなんてない。
旅先でひとり、キャッキャと笑ったことなんてただの一度もない。
もし“楽しさ”を求めるのであれば、ひとり旅なんてまったくもって相応しくない。
ただ、わたしが旅に求めるのは、喜怒哀楽でいえば“楽”ではなく、“喜”。
普段住む街から遠く離れた非日常の世界に赴き、その物事を実際にこの目で見て、耳で聴いて、空気に触れることで得られる知識と経験は、テレビや本で得られるそれとはケタ違いの情報量であり、なにものにも替え難い。
はたしてその知識と経験が日常生活にどれほど役に立つのかはわからないが、しかし、それでわたしのささやかな知識欲は満たされ、そのことは大きな喜びをもたらしてくれるのだ。
だが今はどうだ。
おれは今、喜びを得ているのか?
ウィーンとスペイン各地で、観たいものはすべて観た。
モロッコ上陸で、“アフリカへ行く”という目的は達成した。
フェズでメディナ、スークを歩き、昨日はついにサハラ砂漠で一泊してしまった。
やるべきことは、すべてやってしまっていた。
『バレンタインデーにマラケシュからレマン湖にむかう』という大いなるミッションは残されてはいるが、フェズでみるべきものはみてしまったおかげで、その名前以外、マラケシュという街に目的はない。その後もスイスで2泊しながら鉄道の旅をするという目的はあるが、少なくとももうモロッコに用はない。
この道程はすでに日本への帰り道にしかすぎず、今はただただ、移動して、金を使って、たまに嫌な思いをして、時間を消化しているだけ。
“喜び”は感じていない。
海外旅行で初めての気分に陥っていた。
“はやくこの国を出たい”
モロッコに来て嫌な思いを何度かしたが、親切なひとにもたくさん出会えた。いや、基本、モロッコ人はいい人ばかりである。
まぁそれはそれでいいのだが、それ以前の問題がある。
そもそもわたしはコミュニケーション不全なのだ。その人となりの善し悪しは関係なく、なるべく他人と係わりたくない。
そんな人間に、他人とのコミュニケーションが必須である発展途上国の観光は、かなりの無理があったということだ。
わたしはよくインド旅行を薦められる。“インドはハマる人はハマるし、ダメな人にはとことんダメ”といわれ、わたしは前者のような印象を他人に与えているようなのだが、たぶん、実際に行ってみたら後者になることだろう。
ヨーロッパが恋しい。はやくスイスにたどり着きたい――
――いやしかし、まぁいいではないか。
『バレンタインデーにマラケシュからレマン湖にむかう』
スイスにたどり着くこと自体が、当面の、そしてこの旅最大の目的ではあるのだ。それを頼りにモチベーションを保てばいい。
気を取り直した。
“移動する為に移動している”という、この訳のわからない状況を直視すると虚しくなるだけなので、せっかく取り直した気を削がないよう、あまり深く考えず、今はただバスの揺れに身をまかせる。
11日目のこと・3 ~ワルザザートでいろいろ困る~ [はじめての複数国周遊~モロッコ編~]
ワルザザート到着。
翌日のマラケシュ行きバスのチケットを買うため、ひとまずCTMターミナルへとむかう。
街は旧市街がないぶん、なんとなーく都会的で、相変わらず「コニチワー」攻勢はあるものの、応答してもしつこくつきまとってくるわけでもなく、そのまま挨拶だけで終わる。
砂漠ツアーや、アイト・ベン・ハッドゥ見学の呼び込みもありはしたが、これもあまりしつこくはなかった(すでに夕方だったせいもあるのかもしれない)。
バスチケットを買う前に、手持ちの現金が乏しいので、銀行のATMでキャッシング。
ところがこの機械の調子がよろしくなく、ボタンの反応が鈍い。
最終段階までなんとか進み、さぁあとは現金とカードが出てくるのを待つだけというところで、ついに機械が止まってしまった。
さぁどうする。係員を呼ぶか。しかし言葉がわからんぞ――と、嫌な汗をかきながら数十秒――カードだけが戻ってきた。現金は出てこない。
果たして、それまでの手続きはすべて無効になってくれているのかどうか。いつもの被害妄想&誇大妄想で、“実はこれはニセATMで、カードがスキミングされているのかも”という考えも頭をもたげる。
さぁどうする。係員を呼ぶか。しかし言葉がわからんぞ――ま、やっぱり係員を呼んでも余計な混乱を招くだけだろう。後でカード会社に連絡して使用状況を確認し、ダメならダメでその時対処すればいい。引き出そうとした金額も5000円程度だし、惜しくはあるが、生きていけなくなるほどのものでもない。半分あきらめたつもりで。
別の銀行のATMであらためてキャッシングし、CTMターミナルでマラケシュ行きのチケットを購入。昨日のホテルスタッフの話によると、“バスが動いていないかもしれない”とのことだったが、難なく運行しているらしい。
ちなみに、受付のオッサンとは片言の英会話でやりとり。それにしてもモロッコではどこへ行っても簡単な英語が通じるのだが、みな巻舌で、ラテン系が話す英語に近いように聞こえた。
続いて宿へ。
ガイドブックに載っていた三つ星ホテルへ行ってみる。予約していないが、まぁだいじょうぶだろう。過去2度の飛び込みでわかった。
Hôtel Palmeraie
部屋は空いていて、難なくチェックイン。
もひとつちなみに、レセプションの女性がものすごーくかわいかったのをここに著しておく。やっぱりモロッコは美人が多い。
コテージ風の客室棟が並び、プールもあったりして、全体は高級リゾートホテルの様相をしているが、わたしに与えられた部屋は日本円で4000円弱の、モロッコにおいては値段相応のもの。たださすがに三つ星だけあって、今回の旅の宿でいちばん設備が整っている部屋ではあった。
後に大通り沿いのスーパーで買ってみた。せっかくだからと、リゾートついでに。
またまたちなみに、部屋番号が奇しくも“214”だったのには、ニヤケずにはいられなかった。
さて、落ち着いたところで、キャッシングの件。カード会社に電話してみると、“日本時間では只今早朝のため、カード機能を止めることはできても、利用状況の確認はできない”とのこと。
ちっ、国際電話料金損した。
不安は残るが、ここでジタバタしてもしょうがない。また明日電話しよう。
気をとりなおして、街歩きに繰り出す。
タウリルトのカスバを撮影していると、それを近くでみていた子供にたかられてしまった。
こういうことは覚悟はしていたが、そういえばモロッコ入国以来はじめてだ。
いやしかし、覚悟していたとはいえ、いざとなるとかなり複雑な気分になる。
もちろん現金を渡すようなことはできないし、かわりに渡せるようなものだってない。飴ちゃんのひとつでも持ってりゃよかった。
「だめよだめよ」で振り切ろうとするが、どこまでもついてくる。
どんどん心苦しくなってくるが、なにをどうしていいかもわからないのが更に心苦しく、また情けない。
そうこうしながら数十メートルは歩いたか、そこで助け舟。道端のイスで、なにをするでもなくただ座っていたジイさんが、ぼそぼそっと。
「もうそのへんにしとけ」とでも言ってくれたのか、子供は退散してくれた。
ありがとう、ジイさん――いや、“ありがとう”というのもなんだか違うか。
とにかく複雑な気分だ。
“こうして観光して落とした金が、めぐりめぐってこの子供にまわってくる”
と、開き直ろうともしたが、それもやっぱり情けない。
で、また情けないことに、それでも腹は減る。
大通り沿いのレストランで、タジン。
もうついでだ、サラダも。
こうしてメシにありつけることを、アッラーに感謝しておこう。
翌日のマラケシュ行きバスのチケットを買うため、ひとまずCTMターミナルへとむかう。
街は旧市街がないぶん、なんとなーく都会的で、相変わらず「コニチワー」攻勢はあるものの、応答してもしつこくつきまとってくるわけでもなく、そのまま挨拶だけで終わる。
砂漠ツアーや、アイト・ベン・ハッドゥ見学の呼び込みもありはしたが、これもあまりしつこくはなかった(すでに夕方だったせいもあるのかもしれない)。
バスチケットを買う前に、手持ちの現金が乏しいので、銀行のATMでキャッシング。
ところがこの機械の調子がよろしくなく、ボタンの反応が鈍い。
最終段階までなんとか進み、さぁあとは現金とカードが出てくるのを待つだけというところで、ついに機械が止まってしまった。
さぁどうする。係員を呼ぶか。しかし言葉がわからんぞ――と、嫌な汗をかきながら数十秒――カードだけが戻ってきた。現金は出てこない。
果たして、それまでの手続きはすべて無効になってくれているのかどうか。いつもの被害妄想&誇大妄想で、“実はこれはニセATMで、カードがスキミングされているのかも”という考えも頭をもたげる。
さぁどうする。係員を呼ぶか。しかし言葉がわからんぞ――ま、やっぱり係員を呼んでも余計な混乱を招くだけだろう。後でカード会社に連絡して使用状況を確認し、ダメならダメでその時対処すればいい。引き出そうとした金額も5000円程度だし、惜しくはあるが、生きていけなくなるほどのものでもない。半分あきらめたつもりで。
別の銀行のATMであらためてキャッシングし、CTMターミナルでマラケシュ行きのチケットを購入。昨日のホテルスタッフの話によると、“バスが動いていないかもしれない”とのことだったが、難なく運行しているらしい。
ちなみに、受付のオッサンとは片言の英会話でやりとり。それにしてもモロッコではどこへ行っても簡単な英語が通じるのだが、みな巻舌で、ラテン系が話す英語に近いように聞こえた。
続いて宿へ。
ガイドブックに載っていた三つ星ホテルへ行ってみる。予約していないが、まぁだいじょうぶだろう。過去2度の飛び込みでわかった。
Hôtel Palmeraie
部屋は空いていて、難なくチェックイン。
もひとつちなみに、レセプションの女性がものすごーくかわいかったのをここに著しておく。やっぱりモロッコは美人が多い。
コテージ風の客室棟が並び、プールもあったりして、全体は高級リゾートホテルの様相をしているが、わたしに与えられた部屋は日本円で4000円弱の、モロッコにおいては値段相応のもの。たださすがに三つ星だけあって、今回の旅の宿でいちばん設備が整っている部屋ではあった。
後に大通り沿いのスーパーで買ってみた。せっかくだからと、リゾートついでに。
またまたちなみに、部屋番号が奇しくも“214”だったのには、ニヤケずにはいられなかった。
さて、落ち着いたところで、キャッシングの件。カード会社に電話してみると、“日本時間では只今早朝のため、カード機能を止めることはできても、利用状況の確認はできない”とのこと。
ちっ、国際電話料金損した。
不安は残るが、ここでジタバタしてもしょうがない。また明日電話しよう。
気をとりなおして、街歩きに繰り出す。
タウリルトのカスバを撮影していると、それを近くでみていた子供にたかられてしまった。
こういうことは覚悟はしていたが、そういえばモロッコ入国以来はじめてだ。
いやしかし、覚悟していたとはいえ、いざとなるとかなり複雑な気分になる。
もちろん現金を渡すようなことはできないし、かわりに渡せるようなものだってない。飴ちゃんのひとつでも持ってりゃよかった。
「だめよだめよ」で振り切ろうとするが、どこまでもついてくる。
どんどん心苦しくなってくるが、なにをどうしていいかもわからないのが更に心苦しく、また情けない。
そうこうしながら数十メートルは歩いたか、そこで助け舟。道端のイスで、なにをするでもなくただ座っていたジイさんが、ぼそぼそっと。
「もうそのへんにしとけ」とでも言ってくれたのか、子供は退散してくれた。
ありがとう、ジイさん――いや、“ありがとう”というのもなんだか違うか。
とにかく複雑な気分だ。
“こうして観光して落とした金が、めぐりめぐってこの子供にまわってくる”
と、開き直ろうともしたが、それもやっぱり情けない。
で、また情けないことに、それでも腹は減る。
大通り沿いのレストランで、タジン。
もうついでだ、サラダも。
こうしてメシにありつけることを、アッラーに感謝しておこう。