11日目のこと・2 ~民営バスにてこの旅を考える~ [はじめての複数国周遊~モロッコ編~]
ティネリール到着後、まずCTMバス乗り場に行って時間を調べようとしたら、その前に民営バス乗り場があったため、とりあえずワルザザート行きがあるか訊いてみたところ、まぁなんと5分後に発車するらしい。2回乗って勝手知ったるCTMの方が安心感はあるが、「5分後」と言われては選択の余地はない。運賃はCTMより安いはずだから、まぁいいではないか。70DH。即決でチケット購入。
ちなみに時間は正午過ぎ。いい加減腹が減ってきてはいたものの、食事時間はとれない。が、時間も出費も節約できて、まぁいいではないか。
乗った民営バスは、ガイドブックの情報どおり、確かにCTMよりは汚いものの、ガマンできないレベルでは全然なく、いや“汚い”というよりも、車体が“古い”というだけで、不快感はまったく起こらない。
ただCTMと違って、民営は途中乗降がかなり頻繁にあるため、目的地までより時間がかかるわけだが、運賃が安いのだから、まぁいいではないか。
バスが走るこのワルザザートまでの道は、“カスバ街道”とよばれている。“カスバ”とは、城壁に囲まれた要塞だそうで、その跡がこの道沿いに多く残っている。
わりと壮絶なそのカスバ街道の景色の中、バスはひた走る。
バスは客を吐いては吸い、吐いては吸いを繰り返しているうち、ティネリール出発時は満員に近かったのが、いつのまにやら6割程度まで減っていた。
わたしの隣の席も空いたところで、心にも余裕ができて、ふと物思いに耽る。そして考える。
いったいおれは今なにをやってるんだ――
よくひとにきかれる。
「ひとり旅のなにが楽しいの?」
いやべつにひとり旅は楽しくなんてない。
旅先でひとり、キャッキャと笑ったことなんてただの一度もない。
もし“楽しさ”を求めるのであれば、ひとり旅なんてまったくもって相応しくない。
ただ、わたしが旅に求めるのは、喜怒哀楽でいえば“楽”ではなく、“喜”。
普段住む街から遠く離れた非日常の世界に赴き、その物事を実際にこの目で見て、耳で聴いて、空気に触れることで得られる知識と経験は、テレビや本で得られるそれとはケタ違いの情報量であり、なにものにも替え難い。
はたしてその知識と経験が日常生活にどれほど役に立つのかはわからないが、しかし、それでわたしのささやかな知識欲は満たされ、そのことは大きな喜びをもたらしてくれるのだ。
だが今はどうだ。
おれは今、喜びを得ているのか?
ウィーンとスペイン各地で、観たいものはすべて観た。
モロッコ上陸で、“アフリカへ行く”という目的は達成した。
フェズでメディナ、スークを歩き、昨日はついにサハラ砂漠で一泊してしまった。
やるべきことは、すべてやってしまっていた。
『バレンタインデーにマラケシュからレマン湖にむかう』という大いなるミッションは残されてはいるが、フェズでみるべきものはみてしまったおかげで、その名前以外、マラケシュという街に目的はない。その後もスイスで2泊しながら鉄道の旅をするという目的はあるが、少なくとももうモロッコに用はない。
この道程はすでに日本への帰り道にしかすぎず、今はただただ、移動して、金を使って、たまに嫌な思いをして、時間を消化しているだけ。
“喜び”は感じていない。
海外旅行で初めての気分に陥っていた。
“はやくこの国を出たい”
モロッコに来て嫌な思いを何度かしたが、親切なひとにもたくさん出会えた。いや、基本、モロッコ人はいい人ばかりである。
まぁそれはそれでいいのだが、それ以前の問題がある。
そもそもわたしはコミュニケーション不全なのだ。その人となりの善し悪しは関係なく、なるべく他人と係わりたくない。
そんな人間に、他人とのコミュニケーションが必須である発展途上国の観光は、かなりの無理があったということだ。
わたしはよくインド旅行を薦められる。“インドはハマる人はハマるし、ダメな人にはとことんダメ”といわれ、わたしは前者のような印象を他人に与えているようなのだが、たぶん、実際に行ってみたら後者になることだろう。
ヨーロッパが恋しい。はやくスイスにたどり着きたい――
――いやしかし、まぁいいではないか。
『バレンタインデーにマラケシュからレマン湖にむかう』
スイスにたどり着くこと自体が、当面の、そしてこの旅最大の目的ではあるのだ。それを頼りにモチベーションを保てばいい。
気を取り直した。
“移動する為に移動している”という、この訳のわからない状況を直視すると虚しくなるだけなので、せっかく取り直した気を削がないよう、あまり深く考えず、今はただバスの揺れに身をまかせる。
ちなみに時間は正午過ぎ。いい加減腹が減ってきてはいたものの、食事時間はとれない。が、時間も出費も節約できて、まぁいいではないか。
乗った民営バスは、ガイドブックの情報どおり、確かにCTMよりは汚いものの、ガマンできないレベルでは全然なく、いや“汚い”というよりも、車体が“古い”というだけで、不快感はまったく起こらない。
ただCTMと違って、民営は途中乗降がかなり頻繁にあるため、目的地までより時間がかかるわけだが、運賃が安いのだから、まぁいいではないか。
バスが走るこのワルザザートまでの道は、“カスバ街道”とよばれている。“カスバ”とは、城壁に囲まれた要塞だそうで、その跡がこの道沿いに多く残っている。
わりと壮絶なそのカスバ街道の景色の中、バスはひた走る。
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バスは客を吐いては吸い、吐いては吸いを繰り返しているうち、ティネリール出発時は満員に近かったのが、いつのまにやら6割程度まで減っていた。
わたしの隣の席も空いたところで、心にも余裕ができて、ふと物思いに耽る。そして考える。
いったいおれは今なにをやってるんだ――
よくひとにきかれる。
「ひとり旅のなにが楽しいの?」
いやべつにひとり旅は楽しくなんてない。
旅先でひとり、キャッキャと笑ったことなんてただの一度もない。
もし“楽しさ”を求めるのであれば、ひとり旅なんてまったくもって相応しくない。
ただ、わたしが旅に求めるのは、喜怒哀楽でいえば“楽”ではなく、“喜”。
普段住む街から遠く離れた非日常の世界に赴き、その物事を実際にこの目で見て、耳で聴いて、空気に触れることで得られる知識と経験は、テレビや本で得られるそれとはケタ違いの情報量であり、なにものにも替え難い。
はたしてその知識と経験が日常生活にどれほど役に立つのかはわからないが、しかし、それでわたしのささやかな知識欲は満たされ、そのことは大きな喜びをもたらしてくれるのだ。
だが今はどうだ。
おれは今、喜びを得ているのか?
ウィーンとスペイン各地で、観たいものはすべて観た。
モロッコ上陸で、“アフリカへ行く”という目的は達成した。
フェズでメディナ、スークを歩き、昨日はついにサハラ砂漠で一泊してしまった。
やるべきことは、すべてやってしまっていた。
『バレンタインデーにマラケシュからレマン湖にむかう』という大いなるミッションは残されてはいるが、フェズでみるべきものはみてしまったおかげで、その名前以外、マラケシュという街に目的はない。その後もスイスで2泊しながら鉄道の旅をするという目的はあるが、少なくとももうモロッコに用はない。
この道程はすでに日本への帰り道にしかすぎず、今はただただ、移動して、金を使って、たまに嫌な思いをして、時間を消化しているだけ。
“喜び”は感じていない。
海外旅行で初めての気分に陥っていた。
“はやくこの国を出たい”
モロッコに来て嫌な思いを何度かしたが、親切なひとにもたくさん出会えた。いや、基本、モロッコ人はいい人ばかりである。
まぁそれはそれでいいのだが、それ以前の問題がある。
そもそもわたしはコミュニケーション不全なのだ。その人となりの善し悪しは関係なく、なるべく他人と係わりたくない。
そんな人間に、他人とのコミュニケーションが必須である発展途上国の観光は、かなりの無理があったということだ。
わたしはよくインド旅行を薦められる。“インドはハマる人はハマるし、ダメな人にはとことんダメ”といわれ、わたしは前者のような印象を他人に与えているようなのだが、たぶん、実際に行ってみたら後者になることだろう。
ヨーロッパが恋しい。はやくスイスにたどり着きたい――
――いやしかし、まぁいいではないか。
『バレンタインデーにマラケシュからレマン湖にむかう』
スイスにたどり着くこと自体が、当面の、そしてこの旅最大の目的ではあるのだ。それを頼りにモチベーションを保てばいい。
気を取り直した。
“移動する為に移動している”という、この訳のわからない状況を直視すると虚しくなるだけなので、せっかく取り直した気を削がないよう、あまり深く考えず、今はただバスの揺れに身をまかせる。
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