2日目のこと・7 ~ヴェネツィアの歩き方~ [はじめてのイタリア~ひとりでぇできたぁ~]
駅を出るとすぐ目の前にあらわれる水面には、ぼんやりと街の灯が映っている。
予定では夕方到着だったはずが、鉄道の遅れで、はじめて目にするヴェネツィアの姿は夜。
さすがは世界屈指の観光地。日が暮れていても駅前の人出はまだかなりある。まぁ午後7時じゃ当然だろうが。
さて、迷宮都市ヴェネツィアである。予約してあるホテルへむかうべく歩きはじめたのだが、わたしはもう最初から迷う気まんまんであった。日も暮れていることだし、スムースに目的地に到着できるならもちろんそれに越したことはないのだが、迷ったら迷ったで、それもヴェネツィアの魅力をあじわうことのひとつだろう、と。
ところがこれが迷わない。ホテルはサンタ・マリア・フォルモーサ広場にあり(地図があればみてみてね)、駅からけっこう離れている。途中立ち止まっては地図を確認したり、夜景をながめたり、ということを繰り返しながら、それでも所要時間は30分もなかったか。予定ルートを逸脱することなくホテルに到着できた。
ホテルまでの道のりで気付いたが、目的地の所在がはっきりしていれば、あとは要所要所の広場と道の名称が記されている詳細地図一枚で、ヴェネツィア内のどこにでも迷うことなくたどり着けるようになっている。さすがは世界屈指の観光地である。
街のいたるところに鉄道駅、リアルト橋、サン・マルコ広場への方向指示看板があり、この3ヶ所には、どんなに遠回りしようが地図なしでたどり着くことができ、またその方向指示により大まかな方角を知ることができる。そこでどこへ行くにしてもその3ヶ所を基点にする。
で、ヴェネツィアではどんなに細い路地でも必ず名称があり、ありがたいことにその名称が記された看板も必ず掲示されているので、それを地図に記されているものと照らし合わせつつ、所々に点在する広場を目印に動いていけば、まず迷わない。
ほうら、これであなたもヴェネツィアマスター。
さて、たどり着いたホテルは、サンタ・マリア・フォルモーサ広場に面した、
SCANDINAVIA
なるホテル。
イタリアにありながらスカンジナビアとはこれいかに。
ま、名前はどうでもいいのだが。
建物はなにやら古いものらしく、1000年の歴史があるとかないとか、デズデモーナがオセロに初めて出会ったのがここだという伝説があるとかないとか。
たしかに内装にも風情がある。
通された部屋も、家具やらちょいとした調度品なんかがなかなかに古めかしく、それでいて装飾的でもあり。
どうやら伝統あるヴェネツィア様式だそうで、
どんなものを指してヴェネツィア様式と呼ぶのかなんて詳しく知りやしないが、これがそうなのだというのであれば、まぁそうなのだろうと納得してしまう雰囲気はある。
ま、ガイドブックなんかで高級ホテルの部屋をみるとさらに豪華絢爛で、そういうのを本当のヴェネツィア様式と呼ぶであろうことはまず間違いないのだが、せっかく宿泊するのだ、これもヴェネツィア様式だと思い込むことにする。
荷物を置き、ちょいと一休みして午後8時前。
再び夜のヴェネツィアの街へと戻る。
駅からホテルまでは、ただ移動することが目的だった。
しかしここからの目的はとくにない。あえていうなら目的は“迷う”こと。
さぁ、存分に彷徨い歩いてやろうではないか。
2日目のこと・8 ~カーニバルの夜~ [はじめてのイタリア~ひとりでぇできたぁ~]
目的はないとはいえ、とりあえずの目的“地”は設定しておく。
ヴェネツィアといえばなんといっても、かのナポレオンをして「世界で一番美しい空間」と言わしめたサン・マルコ広場であろう(いやもちろん、日本語ではなくフランス語で言ってたんだろうけど)。
ホテルからの直線距離は100メートル強ほどであるが、そこは迷宮都市。細い路地を右折左折しつつ、途中腹が減ったので、アラブ人が経営するピザ屋で2ユーロの切り売りピザを買って、
「そういえばこれがはじめてのイタリアっぽい食事だな」
と思いながら喰い歩きして20分ほど。
着いた広場は、事前に知っていた風景とは異なるものだった。
当初は、
“バレンタインデーの夜を三十路男ひとり、ヴェネツィアですごす”
という趣向で旅の計画を練っていたのだが、いざ来てみると、化粧品や小物を売る店のショーウインドウには「バレンタインセールしてますよ」みたいなディスプレイがチラホラみえたり、駅前など繁華な場所でバラの花売りがチラホラいたりするくらいで(ミラノでもそうだった)、バレンタインデーへの意識はイタリア人にはあまり強くないらしく、それよりも街は週末にせまったカーニバルの色に染まっていた。
ここサン・マルコ広場でも明日の夜から大掛かりなイベントが催されるようで、そのためのステージと大型スクリーンが設営され、スピーカーからはカンツォーネではなく、イタリアンポップスを大音量で撒き散らしていた。
ナポレオンもこれをみて「世界で一番美しい空間」と言うのかどうか。
バカ騒ぎが好き、あるいは普段の広場の景色を見慣れたイタリア人なら、これも非日常的でいいのかもしれないが、いち日本人観光客の目からすると、どうにも無粋でいただけない。普段の姿をみせてくれと。
ま、これこそがカーニバルなのだろうし、ヴェネツィアがもっとも華やかな時期に来ることができたのだ。ずいぶんと贅沢なはなしではないか。
街のいたるところで仮面を被った人々が練り歩いていて、“外国に来た”どころではなく、なんだか異世界にきてしまったような感覚さえする。
サン・マルコ広場に面する、かの有名なカフェ・フローリアンに、そのコスプレイヤー達が集まっていて、
時空の感覚がゆらいでくる。
広場の真ん中のステージをなるべく目に入れないようにしながら、まわりをみわたす。
サン・マルコ寺院、鐘楼、ドゥカーレ宮殿・・・。
2日目のこと・9 ~水の都にて~ [はじめてのイタリア~ひとりでぇできたぁ~]
サン・マルコ広場をぐるっとひとまわりしたあと、水辺へ。対岸のサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会をのぞむ。
さて、水の都ヴェネツィアである。
船にのってナンボであろう。
とりあえずヴァポレット(水上バスですね)に乗って、船上から夜のヴェネツィアを眺めてみようか。
いったんヴァポレットでサンタ・ルチア駅まで戻り、そこからまた、あっちへフラフラ、こっちへプラプラと歩きながらホテルへ帰ろう。
近くの船着場でチケットを買い、5分も待たないうちに船は到着。
乗り込んで、船室内ではなく、あえて室外の席に陣取る。
ほどなく船は出発した。
2月のヴェネツィア。
日本と同様にイタリアも暖冬のようで、日中はもちろん、日が暮れても凍えるような寒さはない。しかし、運河を渡る風はさすがに冷たく、カメラを持つ手もかじかむ。
ゆっくりと遠ざかる鐘楼。
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追い抜いていく水上タクシーに手をふり、
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リアルト橋を見上げる。
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2日目のこと・10 ~ヴェネツィア彷徨~ [はじめてのイタリア~ひとりでぇできたぁ~]
時計は午後9時をまわっていた。
サンタ・ルチア駅前でヴァポレットを降りる。
午後7時の時点でまだかなりにぎやかだったのが、ここにきていよいよ人出も少なくなってきている。
駅のすぐ目の前にあるスカルツィ橋を渡ると、
さらにすれ違う人もまばらになる。それも観光客にはみえない、地元人と思しきひとり歩きの人ばかり。
駅から徒歩1分の場所とはにわかに信じがたい。
さらに歩を進めると、
いや、これはなかなか・・・、
こわい。
点在する広場にはぽつりぽつりと人影もみえるが、一歩路地に入り込むと、もう誰もいない。
リアルト橋にたどり着くとさすがに観光客が出歩く姿も目にするのだが、
日中は大量の人が行き交うここも、橋上の店が閉まってしまうとこんな有様で。
こうしてまばらながらも出歩いている観光客の中に、日本人、東洋人の顔はまったく見られない。
つい先ほどまでいたサン・マルコ広場にはまだかなりの人出があったが、わたしがそこに異世界を感じたのも、その中に日本人がまったく見えず、日本語をまったく聞くことがなかったからである。
わたしが乗ってきたユーロスターにはかなりの日本人が乗っていたし、この島内に相当な数の日本人が棲息しているのは間違いないはずだが・・・。
――もしかしてわたしは今、ものすごーく危険なことをしているのではないのか?
たまにすれ違う、カメラを携えたいかにも観光客の風情をした欧米人のなかにも、わたしのようなひとり歩きはおらず、みな複数人で闊歩している。
ふらふら回り道をしながらホテルに帰るつもりでいたが、ちょいと恐怖をおぼえると自然、早歩きになってくる。
が、
この異世界に紛れ込んでおきながら、立ち止まらずに歩速を上げることなどわたしにはできなかった。
好奇心は恐怖心に打ち勝ち、
サンタ・ルチア駅からふらふらと1時間かけて午後10時、ホテルに戻ってきた。
――そういえば、日中はミラノにいたんだっけか・・・。
数時間前が遠い過去のように感じる。
1日でふたつの世界を味わう、長い長い2日目が終わった。
3日目のこと・1 ~ヴェネツィアは今日も雨だった~ [はじめてのイタリア~ひとりでぇできたぁ~]
朝7時起床。
さて、きょうはどんな一日になるのだろう。
部屋の窓にはカーテンはなく、木製のブラインドが内側についている。
ヴェネツィアの朝の空気を吸おうとそのブラインドを開ける。
そうしたら、あらびっくり。
昨夜、部屋に戻ってからはテレビをちらっとみて、風呂に入ってすぐ寝てしまっていたので、窓にはノータッチ。まったく気付かなかった。
部屋はテラス付きだった。
ご覧のとおり絶景と呼ぶには程遠いが、それでも、ここで夜景をみながらちびっとワインでも口に、なんてことしてみたら、さぞかしオツなものだったろうと思うと少々悔やまれる。
で、さらにご覧のとおり、
ヴェネツィアの朝は雨だった。
さーて、どうしたもんだろう。めんどくせーなー。
と、雨に濡れ歩き回るおのれの姿を想像して憂鬱になりながら、1階(ヨーロッパでいう0階ね)にある朝食ルームへとむかう。
サンタ・マリア・フォルモーサ広場に面した窓際のテーブルについて、パンを食い、コーヒーをすすりながら外をぼんやり眺める。
リュックを背負った観光客、スーツを着てコートを羽織った通勤中のビジネスマン、通学中の子供達。
どんな格好をしていても、傘をさしているひと、さしてないひとの割合は半々くらいか。
雨は霧雨、シトシトと。
傘がない
わけじゃないけども、これくらいの雨なら、多少濡れようがファッションやらなにやらにまったく影響のないわたしに、傘は必要ない。
欧米人は雨が降っても傘をささない
とよく聞くが、やはり国によって、地域によって違うようだ(パリでは早朝にぱらっとした雨と雪に降られただけなので参考にならず。ちなみにそのとき、傘をさしてるひとは見あたらなかった)。
ヴェネツィアでもう1泊したい気持ちをおさえつつ、後ろ髪を引かれる思いでホテルをチェックアウト。荷物を預け、これ以上雨足が強くならないことを願いながらホテルを出た。せっかくこんなところまできているのだ、イエス様にでも願ってみるか。現世利益を求めるのは筋違いかもしれないが。
で、
そぼ降る雨に濡れながら、
ふらふらと、
とりあえずサン・マルコ広場の方へとむかってみた。
3日目のこと・2 ~ドゥカーレ宮殿~ [はじめてのイタリア~ひとりでぇできたぁ~]
サン・マルコ広場に着いてみたら、
まだ朝の9時、しかも雨が降っているということで、いまのところ人出はたいして多くない。
とりあえずまだ人の少ないうちにと、ドゥカーレ宮殿へ行ってみる。
が、それでも入り口には行列ができていて15分ほど並んだか。のち中へ。
入場料は12ユーロ。
――しょせんは金持ちの元お屋敷でしょ? それで12ユーロってどうなのよ――
と、いぶかしみながら屋内に入ってみたら、案の定、成金趣味のお屋敷(兼政庁舎)だった。
ただ。
それはそれは度を越した豪華絢爛っぷりだった。
どこを見てもキンキラリンのきらりんレボリューション。
各部屋を飾る巨大絵画を、ただ口をぽかんと開けながら見上げる。
もう呆れるしかない。
なるほど、これがホンモノのヴェネツィア様式というやつか。
泊まったホテルを無理やり“ヴェネツィア様式”だと思い込もうとしたおのれの愚かさに恥じ入りつつ、さらに順路を進むと景色は一変、地下牢のような場所を通ったり。
12ユーロにふさわしく見どころ満載。なかなか充実した時間をすごした。
表に出ると、雨は止んでいた。
となりのサン・マルコ寺院をかるく流し、時間は午前11時。
「さて、そろそろいってみるか」
わたしのヴェネツィアでの目的は、“無目的”にぷらぷら街を歩くこと。
そしてもうひとつ。
これは目的らしい、明確な目的。
カフェ・フローリアンでカフェ・ラテを飲むこと。
さぁ、いざ。
3日目のこと・3 ~カフェ・フローリアン~ [はじめてのイタリア~ひとりでぇできたぁ~]
わたしがイタリアまでやってきたそもそもの理由は、まず第一にローマで『ベアトリーチェ・チェンチ』に逢うこと。
第二の理由。
昨年、パリで数々の名作美術品を目にしたとき。
それで芸術熱が燃え上がったというほどではないけども、
「これで満足してはいけないのではないか」
と。
これでは野球の試合を9回裏だけみて、結果を知るだけで納得してしまっているようなものだ(喩えが悪いか)。
いまある西洋美術の、その大元となったルネサンス芸術発祥の地・フィレンツェの空気に触れてこそ、『モナ・リザ』をこの目にした意義がより大きいものになるに違いない。
というわけで、第二の理由はフィレンツェへ行くことであった。
次にヨーロッパにいくならイタリア、そのなかでもローマ、フィレンツェだけでいいと決めていた。毒をくらわば皿まで。もうとことん芸術ツアーだと。
そんなこんなで、独特の街並みがあるというだけで、これといって目玉になるような美術品があるわけではないヴェネツィアなんぞになんの興味もなかったのだが・・・、
みちゃったんだな。
作中、悪人が誰ひとり出てこない“ネオ・ヴェネツィア”に、わたしはユートピアをみてしまった。
いやまぁ、そこはイタリアの観光地である。“ネオ”ではない現実のヴェネツィアでは当然スリが横行しているだろうし、すべてのひとが親切で、諍いもなく穏やかに暮らしているなんてこと、あるはずがない。
しかし、作者がユートピアとして描いてしまうほどの魅力がきっとヴェネツィアにあるのだろうとわたしは信じ、いつのまにか、イタリア旅行のなかになんの興味もなかったはずのヴェネツィア行きを組み込んでいた。
さて、前置きが長くなったが、カフェ・フローリアンである。
『ARIA』に、そのまんまカフェ・フローリアンが出てくるのだ。
ヴェネツィアに興味のなかったわたしは、もちろん『ARIA』をみるまでその存在を知らなかったし、それが実在するカフェだということを知るのもしばらくたってから。
作中語られる「ここはカフェ・ラテ発祥の地」だということが、それが真実なのかは置いておくとして、実際に伝えられている話だということを知るのも、
いつ、どうして知ったのかはまぁいいとして、かんじんなのはサン・マルコ広場に店をかまえたのが1720年という、とにかく歴史と伝統のあるカフェだということ、そしてなにより“カフェ・ラテ発祥の地”であるらしいということ。
コーヒー好きのくせに苦いものが苦手でブラックコーヒーが飲めないというわたしの最愛飲料はコーヒー牛乳。その大元、カフェ・ラテが生まれたといわれるこの地は、わたしにとってはまさに聖地である。
ヴェネツィアまできて聖地巡礼せず帰るなんて背徳的な行為は決して許されないであろう。
が、豪華な店構えと、外からうかがえるきらびやかな内装にかなりびびってしまい、入り口の前でドアにかける手を引っ込めて躊躇する。なにしろ昨夜はこんなのをみてしまっているのだ。
それでも、いま店内でくつろいでいるのは皆ラフな格好をした観光客ばかりということを確認し、なんとか心を落ち着ける。
そうだ。しょせんはたんなるカフェだ。
勇気を出してドアを開ける。
待ち構えていた店員に、びびった内心をごまかすように、
「ぼんじょ~るの!」
と、大きな声であいさつ。
「ひとりか? どうぞお好きな席へ」
みたいなことを英語で案内され、広場の観光客の視線にさらされない、奥の席に座る。
すぐにやってきた別の店員が、
「コンニチワ~」
と日本語で陽気に話しかけながらメニューを渡してくれる。
いやまぁ、注文するものは決まってるのだが、すぐにまた店員を呼び止めるのは“いかにも”って感じで恥ずかしいので、しばらくメニューを眺め、選んでいる振りをしてから、ようやく店員を呼び、
「かふぇらて、うの」
と注文。
すると注文をきいた店員は、なにやら陽気に鼻歌を唄いながら去っていくではないか。
ウソのようにできすぎた典型的イタリア人の姿に、かしこまっていたわたしの心もなごむ。
そうだ。ここカフェ・フローリアンも、どんなに歴史と伝統があろうと、しょせんカフェはカフェなのだ。
でてきたカフェ・ラテはいかにも豪華そうで、価格も8.2ユーロと、たんなるカフェにしてはかなり高いが、それでもやっぱり只のイタリアのカフェ。じっさい飲んでみても、もちろん美味いことは美味いのだが、格別の味がするというわけではない。なにもそんなにびびる必要はなかったわけだ。
コーヒーとミルクの割合をかえていろんな味を試してみたり、地図をながめて次はどのあたりを歩いてみようかと考えたりしながら、時間は正午。最初はさんざんびびりながらも、なんだかんだですっかりくつろいでしまった。
歴史と伝統の重み。
その“重み”がイタリア人らしい陽気な軽やかさで打ち消され、客は歴史と伝統があるという雰囲気を気軽に味わうことができる。カフェ・フローリアンはそんなステキな空間だった。
3日目のこと・4 ~カーニバルの昼~ [はじめてのイタリア~ひとりでぇできたぁ~]
カフェ・フローリアンでカフェ・ラテを飲んだことで、いよいよ目的をなくしたわたしは、ヴェネツィアをさまよい歩くことに専念する。
とりあえずは各所に見え隠れする教会を目印に。
アカデミア橋を渡り、
悔しさを通り越して呆れるほど絵になるイタリア人カップルの後をつけるように、ジュデッカ運河沿いを歩き、
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会を訪れてみたり。
また繁華な場所に戻り、昨夜とは景色が一変したリアルト橋の姿を目にする。
サン・マルコ広場に戻ってみると、
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ますます人出も多くなっている。
鐘楼にのぼって、街を見下ろすと、
やはりサン・マルコ広場はわたしが知る景色ではなく、それはカーニバルのものだった。
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突然始まった劇に(もちろん内容はまったく理解できないが)、ますますカーニバルムードが煽られる。
ここはチップの稼ぎ時とばかりに、レイヤー達も大集合。
しかし大人達の思惑などは超越して、
外国のかわいい子供は徹底的に、反則的にかわいく、それは正常な神経の持ち主でも発狂しそうなまでに・・・。
そんなカーニバルのヴェネツィアに、
響き渡るはカンツォーネ。
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ゆるやかに進むゴンドラ、さざめく水面に、
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ふと、ため息がもれる。
旧くは裁判所と監獄をつないでいたというこの橋。
誰が名づけたのか、
“Ponte dei Sospiri”
日本語で“嘆きの橋”。
記述によっては気の利いた訳もされていて、それは奇しくも、
“ため息橋”。
時間は午後3時をまわっていた。
次の目的地、フィレンツェ行きの列車は16:32発。
もうそろそろ発たなければならない。
囚人はこの橋からみえる街の景色に、
わたしはこの橋をみながら、
ヴェネツィアとの別れを惜しみ、ため息をついていた。
夕闇せまる水の都に再訪を誓い、駅へとむかった。
3日目のこと・5 ~いざフィレンツェ~ [はじめてのイタリア~ひとりでぇできたぁ~]
午後4時、サンタ・ルチア駅に到着。
ことばのわからない異国の地で間違った列車に乗ってしまったら面倒なことになる。まずは予約した列車が何番線から発車するのか、出発予定掲示板を確認する。
が、ちょいと困ったことに列車番号の表示がない。ミラノ中央駅では表示されてたのに・・・。
表示されているのは、発車時刻、終着駅名、列車種別(ユーロスターやらインターシティやら普通列車だとか)、発車予定ホーム番号。ということで、予約している列車がどれに該当するのか確認するための手がかりは、発車時刻、終着駅名、種別ということになる。まぁこれだけわかればじゅうぶんであるし、実際、予約している列車の発車予定時刻である“16:32”のユーロスターの表示もあったのだ。その列車でまず間違いないのだが、どうにも不安をかきたてるのが、その終着駅表示が、わたしの目的地であるフィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅ではなく、ローマ、テルミニ駅であることだった(ちなみに昨日乗った列車はヴェネツィアが終着駅だった)。
まったく、列車番号さえわかれば一発でわかるものを。
これで手がかりは、“16:32発”“ユーロスター”に絞られてしまった。
更にこれにとどまらず。
昨日の今日である。
昨日のミラノでの遅延でイタリアにおける時間のルーズさを痛感したわたしは、この時間表示にどうにも絶対的な信頼をおけない。
さて、これで確かな手がかりは“ユーロスター”のみで、あとは“発車時刻がなんとなく同時間帯”、“終着駅がなんとなく同方向”、というだけになってしまった。
まったく、困ったことです。
いやまぁ、ここサンタ・ルチア駅は、ヨーロッパの主要駅によくある、頭端型(っていうんだっけ? いわゆる櫛型のやつ)プラットホームで、なおかつ複々線にもなっていないようなので、2列車の同時刻発車というのはまずないだろうし、だいたい、他に16:32発のユーロスターなんて表示されていない。まずこの列車で間違いはないはずだ。
・・・などと考えること数十秒。
こういう迷いや不安も旅の醍醐味ではあるが。
あー、めんどくさい。
駅員に確認するのが手っ取り早いって話だ。
わたしが予約していると思しき列車はすでに入線していて、その近くにいた駅員をつかまえ、列車を指差し、予約書をみせながら、
「この列車でいいのですか?」
と片言の英語で問うと、駅員は、
「シー、シー、間違いないですぜ」
と、イタリア語と片言の英語で答えてくれた。
ま、カンタンだったんだよ、こんなの。
売店でおやつと飲み物を買ってから乗車。
そして昨日の遅延が嘘のように、16:32、定刻どおり発車したユーロスターは暮れゆくベネト地方を走る。
エミリア・ロマーニャを抜け、トスカーナに入った頃にはすっかり日も落ちて景色は見えず、地方色の移り変わりを感じることはできない。
そんなこんなで3時間弱の乗車。
フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着した。
午後7時30分。
これから旅をする人、旅を終えた人、家路につく人。まだまだ人出も多く、にぎやかな駅構内。そこにあったマクドナルドで晩飯をすませてから、ホテルへとむかう。
なるホテル。
この部屋代がかなり安い。日本円で5000円弱。昨今のユーロ高を考慮すれば、ホテル予約サイトでの紹介写真からは想像もつかないほどの価格である。オフシーズン、しかも直前予約での投売り価格とはいえ、それでもヴェネツィアやローマの同等ホテルに比べても2、3割は安い。
ちなみに、これからフィレンツェで4泊することになる。
せまい区域に見どころが詰まっているフィレンツェでそんなに長居は必要ないのだが、安いこのホテルでできるかぎりの泊数を稼ぎたいがため、この日のように夜着、次の目的地ローマへは朝発、実質4泊3日のフィレンツェ滞在という旅程を組んだという次第だ。
地図を確認しながらゆっくり歩いて、駅から15分で到着。
あまりにも料金が安いので、紹介写真ほどのキレイな部屋が割り振られるわけもないことは覚悟していたが、 チェックインして、通された部屋は、
三十路男ひとりで泊まるにはなんだか恥ずかしいくらいの、なかなかにステキな部屋であった。
道路側に面していてちょいとうるさかったり、よくみると汚れが目についたり、バスルームの扉がちゃんと閉まらなかったり、給湯がタンク式のため長時間にわたり湯を出せなかったりで(男のひとり使用でそんなに湯を使うことなどないから、これはまったく問題なし)、価格相応の部分があるのは否めないが、それでも海外のホテルに、日本の同価格帯ホテルと同じサービスを求めるのは間違っていると、乏しい海外経験ながら学んでいる。
いやもうほんと、男のひとり旅ならこれでじゅうぶん。贅沢すぎるくらいだ。しかも安い。
こいつは当たりだったな。
これから4泊。満足のいく滞在ができることを予感しつつ、床についた。
4日目のこと・1 ~懸念~ [はじめてのイタリア~ひとりでぇできたぁ~]
繰り返すが、フィレンツェでは4泊する予定。それなりにプランは立ててあるのだが、それらをすべて消化しても余るだけの時間がある。
時間を気にせずゆっくりと、花の都で芸術にふれる。なんとすばらしい。
ということで、朝は遅めに目を覚まし、ベッドに入ったままのんびりとテレビをながめる。
ニュース番組では新聞早読みチェックみたいなことや星占いなど、日本の朝の情報番組とだいたい同じことを放送している。
この構成をどこかのオリジナルから真似ているのか。
それとも、民族は違えど同じ人間、視聴者が朝の情報番組に求めるものは似通ってくるものなのか。
なかなか興味深い。
などと考えているうちにすっかり覚醒。
さて顔でも洗おうかと、ベッドから降りると右膝に違和感が。
なにやらまずいことになりそうな予感を胸中によぎらせつつ、右足を踏み出し、体重をかけると、
!!!!!
息も詰まるほどの激痛が右膝に走った。
予兆は前日からあった。
ヴェネツィアでの朝、すでにかすかな痛みをおぼえてはいたのだ。
おそらく原因はさらにその前夜、ヴェネツィア到着時、荷物を背負いながらのホテルまでの歩行にあったものと思われる。
ただ長距離歩行するだけなら普段からの散歩で鍛えているためまったく問題はないのだが、ヴェネツィアの縦横に張り巡らされた運河にかかった数々の橋を、荷物を背負って上り下りするというのは、大した重量の荷物ではないとはいえ、もともと40kg台の体重しか支えていないわたしの膝にはかなりの負担であるらしかった。(わたしの荷物はキャスター付のトランクではありません。両手が空いてないと小回りがきかない感じがして、不便かつ不安なので)。
痛みはしばらく歩いて膝がほぐれると消えたため、日中は存分にヴェネツィア観光を楽しめたのだが、夕方、ホテルから駅まで荷物を背負いながらの道のりで右膝の痛みが再発。
さらにそのまま列車に乗り込み、フィレンツェ到着までの3時間、脚を動かすことがなかったため膝が固まってしまい、降車してからホテルに向かう道での痛みは朝と夕方のそれより増していた。
そんなこんなで、今朝の激痛である。
一晩寝て治った、というわけにはいかなかった。
それどころか、痛みはさらに増している。
どうにもこれは、少しほぐすと治る、というほどヤワな痛みではない。
さて困った。
まだ旅の日程は中盤すら迎えてない。
しかも、これから始まるフィレンツェ観光こそが今回のイタリア旅行における大きな目的なのであり、ここからが本番ともいえる。
はたして、この膝痛を抱えながら“ゆっくりと芸術にふれる”なんてことできるのだろうか。
しかし、もうこうなってしまったものはしかたがない。すでにイタリアくんだりまで来てしまっているのだ。脚が動かないなら這ってでも美術館めぐりをしてやろうではないか。
痛む右足をひきずりながら、ほんとうに這うように部屋を出て、ホテル地下にある朝食ルームへとむかった。