世のおばちゃんはかくもヒマか [きょうの敬遠]
江戸東京博物館『エミール・ガレ展』にいってきた。
ガレといえば『手』。
生命本来の有機的な曲線美がアール・ヌーヴォーの本質であるならば、それを観るもの誰にでももたらすであろう「死」のイメージが「生」を対比的に照らし出す『手』は、ガレの最高傑作と呼ばれるにふさわしい。
・・・などと考えながら作品鑑賞に没頭する余裕なんてまったくない。とにかくむちゃくちゃ混んでいる。平日の昼なのに何事か。春休みといえど若者はあまり見当たらず、客のほとんどがヒマをもてあましているとおぼしき中高年女性。そういや『新日曜美術館』でエミール・ガレ特集の再放送してたが、そんなにあの番組に影響力あるのか? 会期終了間近ということもあるのだろうけど。
どの作品の前もひとの壁。目の前でみようとしたら、壁の一部になってその流れに乗らなくてはならず、自分のペースで鑑賞することは許されない。とても美術鑑賞できる状況ではなかったため、どの作品もチラ見で流し、15分もかからず出口へ。
このままでは入場料を捨てたようなもの。なんでもいいから収穫を求めて土産物屋を物色するが、どれも実にまっとうなものでつまらない。『手』の気持ち悪いストラップとか売りゃいいのに。
しかしまぁ作品自体はどれもすばらしいので、興味のあるひとなら、自分の忍耐力を試すつもりでも両国まで足を運んでみてはいかがか。(ちなみに次の企画展示『新シルクロード展』のほうがおもしろそう)
団子より花 [きょうの敬遠]
というわけで、花見に行ってきた。下では「十分睡眠がとれる」などと書いていたが、結局寝ずに現地へ。寝不足の自慢など聞かされるほうはかなりうざったいものだが、いざ不眠時間が40時間を越えてくると、誰かに伝えておきたくなるもんで。しかし、以前は徹夜など当たり前の生活を送っていたが、もうだめだわ。風邪ひきそう。
まぁいいや、それで花見。長いつきあいの方ならご存知かとは思うが、このドンチャン騒ぎスタイルの花見をわたしは完全否定してきた。どうしてだまって花を愛でることができないのか。ドンチャン騒ぎなら今の時期でなくてもできるでしょ。だいたい、この時期はまだ寒いじゃない。いいからおれに花をみせてくれ。吹く風と散る花びらに包まれて、静かに世の無常を儚んだりしたいのよ。
なんてことを思いつつ結局花見に向かったのは・・・どうしてだろう。まぁ日常にちょっとした刺激が欲しかったのかなと。参加メンバーにバカ騒ぎするような輩はいないものの、そこは満開の桜のした、土曜日の駒沢公園、まわりは当然酔っ払いの渦。精神修行するつもりで、飲めない酒を飲んできたわけである。
おれはモテ男 [きょうの敬遠]
下の花見の途中、突然職場の先輩から飲み会のお誘いが。うーん、いま駒沢公園だしなぁ、行ってもあんまり時間ないしなぁ・・・えっ? U子2さんが来るって?! あぁ行く行く、行きますよ、絶対!
眠気もいっきに覚め、花見終了後、急いで現場へ。おぉU子2さん、あいかわらずかわいいねぇ。帰り際、このブログのURLを教えたが、どうせ酔っ払っておぼえてないでしょ。まぁいいよいいよ、許しちゃう。
それにしても、わたしが直接ここのURLを教えた女性達は皆すばらしい方々で、頻度はどうあれ、こんなわたしをかまってくれて大変ありがたい。日頃モテないことを諦観を大きく含みつつ嘆いているが、こりゃ贅沢いっちゃいかんなと。素敵な女性達と多少なりともかかわりを「持てている」ことが、わたしにとっての「モテている」ことと解釈し、これからも日々謙虚に生きていこうと思う次第で。
あるこうあるこうわたしはげんき [きょうの敬遠]
下の飲み会の帰り。午前3時。当然電車は走ってなく。普段この場所までは自転車で来てるのだが、本日は駒沢公園から急遽参戦ということで交通手段がない。先輩がクルマで送ってくれるといってくれたが(もちろん先輩は酒を飲んでません!)、少し肌寒いものの動けばちょうど良い夜風だったため、せっかくだがお断りし、歩いて帰ることにした。
自転車では30分の道のり。女性陣に心配してもらいたいがために、「歩いて3時間」と大袈裟に言ってみたりしたが、実際は2時間くらいかなと思いつつ出発。
i-podからは、奇しくも『最後のニュース』が流れて深夜の静かな街を演出したり、皮肉にも『真っ赤な自転車』が流れてわたしの苦笑を誘ったり。そうこうしているうちに、あっという間に自宅へ到着。時計をみたら、あれあれ? 所要時間は1時間強。
日頃から交通手段は自転車に頼りきっているので、すっかり歩行のスピード感覚が鈍っていたのだが、そんなに人間の歩行スピードって速かったっけ? わたしは普段から運動などしていないし、自転車で使う筋肉と歩行時のそれとは違うだろうから、自分の脚力にではなく、人間本来の底力というものに驚嘆してしまった。
日常 [きょうの敬遠]
それにしても書くことがない。どんな些細なことでも大きく広げてカタチにしてしまうほどの文章力は、残念ながら持ち合わせていない。
無理やり更新する必要はないし、誰も待ち望んではいないだろうが、カレンダーがスカスカになるのがなんとなく悔しいので、とりあえずガンダムのことなんか書いてしまった。いやお恥ずかしい。いまさら「テレビシリーズも観ておくべき」はないわな。みんなわかってるよねぇ、そんなこと。
そんなこんなでなんのハプニングも起こらない、この平穏な日々。もしかしたら幸せとはこういうことなのかもしれない。「いま幸せ」と思っているうちは本当の幸せではなく、退屈と思えるぐらいがわたしの身の丈にあった幸せなのだろう。
どこだろうと行きます [きょうの敬遠]
OWABI==
あぁそう、もう一軒建てちゃうの。なら、東京近辺にしてください。
ファンにとってはたいへんありがたいはなしだが、反面、そういう施設は作品そのものの価値を下げてしまうような気がする。あの家は、映画を観た誰のこころにも、そのひとだけの家として存在しているのである。いくら完全再現されているとはいえ、アニメだからこそ、フィクションだからこそ美しく受けることのできる印象というものがあるはず。しかしわたしにとっては、そんなことでは揺るがないほど『となりのトトロ』は名作であるから心配はない。とにかくおれにあの家をみせてくれ。
それにしても大混乱だったみたいで。いちおう「ジブリ側にも落ち度がある」としてはいるものの、内心「全面的にyahooオークションが悪い」と思ってるんだろうな。まぁ最初から転売目的でチケット入手する人間がいちばん悪いんだが。あぁ、ドラi-pod・・・。
寝ない子も育つ [きょうの敬遠]
あと3本になって思うこと
以前からこのブログは読んでいたのだが、もうすぐ2000本安打達成ってことで、ご祝儀でRSSに入れ、さらにはトラックバックまでしてみた。
わたしはジャイアンツファンであるが、他球団でもやっぱりすごい選手はすごいと思うわけで、説明するまでもなく、古田選手は偉大なのである。
ポスト山倉を探していてドラフト指名寸前までいったにもかかわらず、「メガネをかけている」という理由で古田選手を指名しなかったジャイアンツの編成、スカウトに怒りすらおぼえる。当時の投手陣の質をあわせれば、V9越えも夢ではなかったろうに。もちろん、古田選手の大成は、野村監督の指導あってのことなのかもしれないが、それでも生まれ持った才能(努力できることも才能です)がなければここまでの成績は得られないだろうし、それだけの才能があればどの球団に入っても結果を残すことができていたはずだ。
それにしても、去年の合併騒動のときも思ったが、古田選手はいつ寝てるのだろうか。中日・落合監督が現役当時言っていたが、好成績の秘訣は「とにかく寝ること」。1日10時間寝ていたそうだ。ヤンキース松井選手もよく寝るそうだが、それでも結果を残す古田選手は、やっぱり偉大なのである。
『少年カトリ』 おぼえてる? [きょうの敬遠]
さきほどフットサルをしてきた。所属チーム同志の対戦ということで気楽に挑んだのだが、気を抜きすぎて写真とるの忘れたわ。まぁ、左のブログの誰かが画像アップするでしょ。
それにしても、せっかく温泉に入ってきたのに、まったくリフレッシュした気にならない。下では書いてないが、箱根の帰り道に何故かテニスをして、翌日には筋肉痛という本末転倒。そして本日は、人員不足もあり、いつもより多めに動いてグッタリである。うー、なにもする気が起きない・・・。
働きたくないよー 今夜はー
沖縄いくか、中央アルプス越えるか、それとも [きょうの敬遠]
KK ベストセラーズ || 一個人
一個人 (いっこじん) 06月号 [雑誌]
こりゃいい。奈良の主要な仏像は網羅され、ありがたいことに山奥の通好みな名仏はカットされている。鄙びた雰囲気が奈良の寺と仏像の魅力なわけで、見仏人には、あんまり注目してほしくないマイテンプルっていうもんがあるのよ。
またこちらも完全網羅とまではいかないが、主要な仏教行事のカレンダーや、仏教宗派の系譜など、仏教の基礎知識が満載。さらにはカジュアル見仏人のカリスマ、みうらじゅんアニキや、はなが登場。一家に一冊置いておいて損はないでしょう。
とまぁ、内容は仏教初心者向けで、そろそろ中堅どころにさしかかってきたわたしには物足りないのだが、それでも購入に踏み切ったのは附録のDVD『中国の仏教遺産を行く』に惹かれたため。
いや、すげー。日本ではあまりお目にかかれない、ガンダーラ系エキゾチック巨大石仏のオンパレード。さらにはチベットのポタラ宮まで収録されてボリューム満点。このDVDだけに金を払ってもいいと思える。
これでいていろいろ考えてるのよ [きょうの敬遠]
たまにまじめなことを書くとどうもいけない。
箸にも棒にもかからない日記程度のものなら、なにを書こうが気にするのは誤字・脱字ぐらいのもので、一度公開してしまえば放置しているが、少しでも社会にかかわるようなことになるとヘタなことは書けないわけで。
この文章で真意は伝わっているのか、誤解されてやしないか、余計なことばはないか、なにか付け足せばもっとわかりやすくなるのではないか・・・。
印刷物とは違い、一度発表しても後で修正できるというこの媒体の利点が、あきらめの悪いわたしにはマイナスに作用しているようで、日々おもうことはあるにはあるが、自分の書いたものに引きずられて新しいことを書く余裕がもてない。
と、書くことで一区切りつけたいなと。