5日目のこと・3 ~プラド美術館~ [はじめての複数国周遊~スペイン編~]
15:30発、ちょうどいい時間のせいか満員のバスでマドリードに戻ったのは16:15。ティッセン・ボルミネッサ美術館へ行こうかと思っていたが、残念ながら時間が足りない。どうしても観ておきたい絵もないし、諦め。さっさとプラド美術館へ向かう。
プラドでは、『フランシス・ベーコン展』なる特別展が開催されていた(2009年2月時)。
「美術館で“フランシス・ベーコン”ってなに展示すんの?」と訝しんでいたら、どうやらそれは哲学の方のフランシス・ベーコンではなく、同姓同名、画家のフランシス・ベーコンの展覧会らしく。
ふーん、そんな画家いたのね。
プラドの常設展とは別料金だが、ま、こんな機会がなければ観ることはなさそうだし、せっかくだからいってみるかと、併せてチケットを買い、常設展をまわる前に観てみたのだが――あぁ、しまった。宿敵モダンアート。だめだ。ワケワカンナイ。しかも時間があんまりなかったのに。いろいろもったいないことをしてしまった。
その落胆のせいか、トレドを歩きまわって蓄積された疲労と空腹感が急激に押し寄せてきて動けなくなり、カフェで休憩。時間ないのに。
そのカフェのとなりの土産物屋は閉館時間より早く閉まるようなので、休憩後に物色。ホンモノの絵を観る前にそれがプリントされているだけの土産を物色するという本末転倒っぷりは、疲労ゆえの混乱か。時間ないのに!
土産を買い終わったら午後6時。閉館まで2時間しかない。急ぎ、展示を観てまわる。
プラドもいちおう“エル・グレコ地獄”の一環のつもりではいたが、トレドでたたっぷり観てきて、すでに満腹に近い状態だったため、他の画家の作品に時間を割いていく。
で、プラドの最大の目玉といえば、なんといってもベラスケス作『ラス・メニーナス』であろうが、それよりもわたしの目を惹いたのが、同じベラスケス作『キリスト磔刑』であった。
同じモチーフで描かれた他の画家の作品は世界中にあり、ここプラドにもいくつか展示されている。とくにゴヤと比較するとおもしろいのだが、ゴヤの『キリスト磔刑』は、その“死”があまりに劇的すぎて、文字通り、いかにも“絵に描いた”ように見えてしまう。ま、べつに、そういう芝居がかったケレン味も嫌いというわけではないが。
では、ベラスケスの『キリスト磔刑』はというと――
深く重い“死”の静寂。
その静寂の中に浮かび映える、死体なのに――いや、死体だからか――妙になまめかしくエロティックですらある肉体のリアリティは、後の“復活”をも予感させる。
イエスの死と復活。
それを盛り込み描かれ、観る者に感じさせるこの作品は、宗教画としても、いち美術品としても、高みと深奥に到達している――
――と、魅入っていたのだが、あぁ、だから時間がないんだってば。
時間を見ると、すでに午後7時30分。
残りの展示を競歩のようなスピードで観てまわっていると――あぁ麗しき、ムリーリョのマリアたんと再会。
でれぇっとしていたら――うん、時間がないんだな――「もうそろそろ閉館ですぜ」と係員に追い立てられてしまった。後ろ髪ひかれながらプラドを出る。
鑑賞時間、2時間。足りない。永六輔の舌ばりに足りない。やはりせっかくの海外旅行、そして美術鑑賞は、時間に余裕をもって臨まないといけないなと、改めて痛感した次第である。
ちなみに、足りないおかげで、渡航前に話題になった、『巨人』の確認もちゃんとできなかった。たぶん展示されてなかったのではないか。説明書きもどこにもなかったような。いちおう館内すべて観てまわったつもりではあるのだが、なにぶん早足だったもので、いまいち確証がもてない。
↑で活用させていただいたプラド美術館ホームページのオンラインギャラリーで“Goya”と検索してみても、やはり『巨人』は出てこない。“プラドの黒歴史”みたいな扱いになってるのだろうか。
プラドでは、『フランシス・ベーコン展』なる特別展が開催されていた(2009年2月時)。
「美術館で“フランシス・ベーコン”ってなに展示すんの?」と訝しんでいたら、どうやらそれは哲学の方のフランシス・ベーコンではなく、同姓同名、画家のフランシス・ベーコンの展覧会らしく。
ふーん、そんな画家いたのね。
プラドの常設展とは別料金だが、ま、こんな機会がなければ観ることはなさそうだし、せっかくだからいってみるかと、併せてチケットを買い、常設展をまわる前に観てみたのだが――あぁ、しまった。宿敵モダンアート。だめだ。ワケワカンナイ。しかも時間があんまりなかったのに。いろいろもったいないことをしてしまった。
その落胆のせいか、トレドを歩きまわって蓄積された疲労と空腹感が急激に押し寄せてきて動けなくなり、カフェで休憩。時間ないのに。
そのカフェのとなりの土産物屋は閉館時間より早く閉まるようなので、休憩後に物色。ホンモノの絵を観る前にそれがプリントされているだけの土産を物色するという本末転倒っぷりは、疲労ゆえの混乱か。時間ないのに!
土産を買い終わったら午後6時。閉館まで2時間しかない。急ぎ、展示を観てまわる。
プラドもいちおう“エル・グレコ地獄”の一環のつもりではいたが、トレドでたたっぷり観てきて、すでに満腹に近い状態だったため、他の画家の作品に時間を割いていく。
で、プラドの最大の目玉といえば、なんといってもベラスケス作『ラス・メニーナス』であろうが、それよりもわたしの目を惹いたのが、同じベラスケス作『キリスト磔刑』であった。
同じモチーフで描かれた他の画家の作品は世界中にあり、ここプラドにもいくつか展示されている。とくにゴヤと比較するとおもしろいのだが、ゴヤの『キリスト磔刑』は、その“死”があまりに劇的すぎて、文字通り、いかにも“絵に描いた”ように見えてしまう。ま、べつに、そういう芝居がかったケレン味も嫌いというわけではないが。
では、ベラスケスの『キリスト磔刑』はというと――
深く重い“死”の静寂。
その静寂の中に浮かび映える、死体なのに――いや、死体だからか――妙になまめかしくエロティックですらある肉体のリアリティは、後の“復活”をも予感させる。
イエスの死と復活。
それを盛り込み描かれ、観る者に感じさせるこの作品は、宗教画としても、いち美術品としても、高みと深奥に到達している――
――と、魅入っていたのだが、あぁ、だから時間がないんだってば。
時間を見ると、すでに午後7時30分。
残りの展示を競歩のようなスピードで観てまわっていると――あぁ麗しき、ムリーリョのマリアたんと再会。
でれぇっとしていたら――うん、時間がないんだな――「もうそろそろ閉館ですぜ」と係員に追い立てられてしまった。後ろ髪ひかれながらプラドを出る。
鑑賞時間、2時間。足りない。永六輔の舌ばりに足りない。やはりせっかくの海外旅行、そして美術鑑賞は、時間に余裕をもって臨まないといけないなと、改めて痛感した次第である。
ちなみに、足りないおかげで、渡航前に話題になった、『巨人』の確認もちゃんとできなかった。たぶん展示されてなかったのではないか。説明書きもどこにもなかったような。いちおう館内すべて観てまわったつもりではあるのだが、なにぶん早足だったもので、いまいち確証がもてない。
↑で活用させていただいたプラド美術館ホームページのオンラインギャラリーで“Goya”と検索してみても、やはり『巨人』は出てこない。“プラドの黒歴史”みたいな扱いになってるのだろうか。
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