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一生分「芸術」と書きました [感想文]

 「芸術」ということばは実にあやふやなもので、人それぞれ捉え方は千差万別であろう。もちろんわたしにとっての「芸術」の定義を他人に押し付けようなんて気はさらさらない。
 しかし、普遍的絶対美が表現されていることこそが、誰がなんと言おうと「芸術」の大前提であると思うし、ゆずれるところではない。表現者が表現せんとする美が世界に普く伝わりうるものこそ真の「芸術」であり、作った自分にしかわからないといった一人よがりのものを「芸術」とは呼びたくない。
 そして世界に普く美を伝えるということは国や地域の文化を超えることであり、それこそが“絶対美”であるわけだが、その絶対美を表現するのは、何ものにも揺るぎない確固たる技術こそすべてである。才能なんて、それを発現させるための技術があってこそ意味をなす。(技術を習得するのも才能のひとつだ)。
 芸術のためのひとつの手段として技術があるのではない。まず技術があり、そこにはじめて芸術
が生まれるのだ。芸術家は芸術家であるまえに、技術者・職人でなくてはならない。
 いやそもそも、“自称”芸術家というやつは一様にうさんくさい。上記のように、他者に伝わってこそ芸術が芸術たりえるということを前提にすれば、「芸術」を称することができるのはそれの表現者以外の他者にしかできないのだ。最初から「芸術のために芸術」しているようなものを、わたしは「芸術」として認めたくない。

 前置きが長くなった。

 本日、『印刷解体 Vol.2』なる展覧会に行ってきた。
 いまや廃れつつある活版印刷の展覧会である。その活字によって記されている内容は関係ない。あくまで、活版印刷・活字そのものの展覧会である。
 そこで、『文選・植字ライブ』として職人が目の前で作業を披露してくれた。
 ひたすら活字をひろい、版組していく。その目標のためだけに何十年と繰り返されてきた作業には無駄などなく、洗練され、そこにはなんのまぎれもない絶対美があった。それは確固たる技術に裏打ちされたパフォーマンスとして芸術の域に達しているのである。
 もちろん職人たちに“芸術家”としての自覚などないだろうし、「芸術品をつくろう」などという魂胆もないだろう。ただひたすらに目の前の仕事をこなすだけである。しかし「芸術」であることを自ら主張しないストイックなまでのその仕事ぶりと技術力にこそ、他者であるわたしは美を見出し、それを「芸術」と呼ぶ。


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